■[報告]トルコ2(アナトリア横断)
□作成:2005年3月9日
□送信:イギリス・バジルドン

▼概要

カイセリで黄秀霞と合流し、カッパドキア、地下都市などトルコの見所を満喫。イスタン ブールを目指し、果てしなき畑作地帯を走った。

▼客引きバトル

トルコというと非常に残念な事ながら悪質な客引きの噂をよく聞いていた。しかし現実に 会ったのはカイセリが初めてだった。そして幸運にもそれは最後の一回でもあった。 カイセリの街を歩いていて、急に達者な英語で話しかけられた。大学生で英語の勉強がしたいという。その一方的な態度に当初から胡散臭さを抱いたが、彼は一枚上手だった。 彼は散々私に付きまとったあげく、「オスマンハウス」に言ったことがあるかと聞いてきた。それは単にオスマン時代の家という意味だったのかもしれないが、伝統家屋好きの私は資料館か何かと勘違いし、見に行くことにしてしまった。

結果は然り。確かに外観からオスマン時代からの家屋という説明に嘘は無いようだったが 特に何かが保存展示されている訳ではなさそうだった。

「何一つ絶対に買わないからな!」

私は何度も大きな声で断ってから、それでもかなり不安を抱えて店に入った。 そう、ここは絨毯屋なのだ。悪質な場合中で金銭を巻き上げられることだって想定できる 。しかし私は彼らの顔を見て、そこまでの人間ではないと判断した。旅と共に鍛えた読顔術だ。 中に入ると予想に違わず次から次に絨毯が並べられ、それらがいかに素晴らしく、イスタ ンブールより安いかが語られた。さすがにしつこくて腹が立った。

「絶対に買わないって言っただろ!」

しかし彼らはしぶとかった。そして何枚も新しい絨毯を広げては

「いくらなら買う?」「なぜ買わないんだ?」

疑問形で問いつめてくる。まるで買わないことがおかしいという様な口振りで。 そして僕が押してもひいても買いそうにないことを悟ると最後にこう捨てぜりふを吐いてくれた。

「君が買わなかったら一体どうやって生計を立てたらいいんだ!(How can I make BUSINESS?) 」

「知らんべや!(It's not my BUSINESS!)」

という感じである。 彼らとて実際商売に必死なのは事実かもしれないがこの日はさすがに私も怒りがこみ上げてきて、反撃を試みることにした。 買う気の無い私に見切りをつけ、追い立てるように家路についた彼らを一転してフレンドリーを装った私が質問責めにする。

「ところで〜、君の兄弟は何人いるんだっけ?」
「お兄さんの名前は〜?」
「仕事は何をしているの?」
「どこに住んでいるの?」
「何歳?」
「身長はどのくらい?」
「好きな食べ物は?」「」....

「ところで二番目のお兄さんの名前は〜?」「仕事は何をしているの?」「何歳?」「」..........

さすがにちょっと嫌そうな顔をしてくれた客引きのお兄さん。でも、ちょっと考え込むとこう切り返してきた。

「おまえ、大阪人やろ。」

▼カッパドキア

秀霞が再度台湾から走りに来てくれた。

トルコ航空は国際線を飛ぶとトルコ国内は無料で 移動できる。そこでイスタンブールから飛行機を乗り継ぎ、カイセリまで飛んでもらい、 合流した。

初めてみる彼女の新車は赤いVooDoo製のクロモリフレームで、いかにも台北で自転車屋を営む丁さんらしい通好みの細い車体。以前ベトナムで苦労したキャリアも問題なくしっかり着く。アナトリアを横断し、イスタンブールまで走り切れるだろうか。

カイセリを出発し、ひまわり畑の間を走り抜け、丘を一つ越えるとそこはもうカッパドキアだった。キノコ岩が立ち並ぶおとぎの国だ。私たちはギョレメ村から離れたキャンプ場 にテントを張り、そこを拠点に方々を主に徒歩で歩き回った。

単なる奇石園かと思っていたカッパドキアだが、歩いてみると非常に面白かった。谷沿いの道は無数にあり、現在も営まれている農家の生活をつぶさに見ることができた。 ここでの生活は大変に違いない。

カッパドキアは火山灰が降り積もったもろい地形なので土地がやせすぎているからだ。そこで人々は鳩を飼い、その糞を肥料に使っていたのである。その鳩小屋が谷沿いに無数に残っていた。 鳩小屋は谷の断崖の遙か上に転々と掘られている。しかしそこへ至る道は全く見あたらな い。下からはしごをかけるには高すぎるから、崖の上からロープを垂らし糞を回収するのだろう。信じられない行程だ。 谷は小川によって削られ、深く深く刻まれていた。

私たちは谷沿の踏み跡を追い、先へ進 んだ。枯れた小川はもろい大地をえぐるように刻み地底へもぐっていく。そして時として切り立った小さな渓谷は洞窟になり、さらに深みに入ってもぐっていくのだった。洞窟の 中で小川は蛇行を繰り返し、また外に出ては峡谷を刻んでいく。自然が作ったとは思えないほど変化に富み、入り組んでいた。

農作物は主に果樹で特に葡萄が多かった。葡萄は日本のように横にツタをはわせるのでなく、独立して木のように立っている。サイズは極めて小さく、そのくせずいぶん間隔を置いてまばらに植えられていた。やはり土地が貧しいせいなのだろう。

谷沿いにはいくつも廃墟と化した洞窟の住居があり、それらを探索するのは非常に面白い。影に隠れている階段を探し当てては二階三階へと登る。用途不明の溝や、くぼみ、穴を 見ては使い道を想像する。上水路か排水か。暖炉かトイレか、はたまたダストシュートか 。 火山灰の土地は爪を立てれば削れるくらいもろいので掘るのは簡単だが磨耗も早い。階段などは滑り台のようになり、危険で上れなくなってしまったところもあった。

そんなあるとき、ひときわ細く急な階段を見つけた。手探りでそれを登ってみるとそれは 内側から鳩小屋に続いていたのだった。 どうやら上からロープを垂らして曲芸のようにして糞を回収するという説は間違っていたようだ。全ての鳩小屋は実は内部でつながっており、日々一握りづつの糞を集められるようになっていたのである。

▼地下都市

カッパドキアを出ると一路南下しカイマクルとデリンクユの地下都市を見に行った。ここはカッパドキアの様な起伏はほとんどなく、なだらかな畑作地帯である。つまり地下都市 は畑のど真ん中の様なところに建設されていた。

「あらま〜、どっからきたの?」

カイマクルに着くといきなり日本人のおばさん観光客に歓迎された。 「何かおごってあげる。何飲みたい?」

何も飲みたくなかったけど、ありがたくジュースをごちそうになった。私は海外で日本人らしき人を見つけたときの、あの奇妙にさぐり合うような感覚が大嫌いだ。おばさんたちの素直な反応がうれしかった。

地下都市で公開されているのは実はほんの一部で、ほとんどは非公開の闇に包まれている 。しかしかといって日本のように柵があり隔てられているわけでもなかった。そこで持ってきたランプを頼りに探検してみるのが面白かった。手探りで入ってみると闇という現実 に直面できる。電灯の無い時代、こんなところで人は一体どうやって暮らしていたのだろうか。

その後はまた一日小麦畑の中を走り、ウフララ渓谷へ行った。どこにでも言えることだが 、多くの観光客が歩くコースから一歩踏み入れると自然がそのままの形で迫ってくる。ウフララ渓谷でも川沿いの道を小一時間も歩くと会う人もほとんどいなくなり、すももがた わわと実る桃源郷になった。完全無農薬のすももには時として先客が住んでいた。それに 注意しながら甘酸っぱい天然の味を楽しむ。

これぞ盗採の醍醐味。

▼果て無きアナトリア

ウフララを出るとメインルートを避け、名もないような道をひたすら走った。果てしなき 高原が何日も続く。

宿が無いところではキャンプを繰り替えた。人々は驚くほど親切で何かとごちそうしてくれた。

ガソリンスタンドの裏手にテントを張らせてもらったらパスタの夕食をごちそうしてくれ たこともあった。外国人という事でわざわざ「洋食」を作ってくれたということが無言のうちに伝わる。その暖かさに幸せを感じた。魔法瓶に入れてくれたチャイのおいしかったこと。

別の村にキャンプしたときはヨーグルトや手作りのパンケーキをもってきてくれた。黄色っぽい色をしたヨーグルトは非常に濃厚で自然そのままの味だ。 「最近は工場生産の方が好まれたりするけど、私はこれが好き。」 帰省中の女学生はそうはにかんだ。

いつも驚かされるのは見かけが貧しそうに見える人ほど惜しげもなく食料をわけてくれることだ。笑顔でお礼を言って頭を下げるくらいしか私たちにはできない。それがもどかしかった。

トルコでは基本的に誰かに許可を得た上で民家の近くにテントを張るようにしていたがどうしても民家が見つからないこともあった。広大なひまわり畑が延々と続き周囲何キロも 畑以外何も見つからないようなところで日暮れを迎えしてしまったこともあった。

幸いなのはトルコではそんなところでも泉があって気軽に水をくめることだった。ポンプ小屋のうらにテントを張らせてもらい、日の落ちるのを拝み、疲れにまかせ熟睡。日の出を迎え、また自転車を転がした。

果てしの無いような道を走っていると自分もまた大地の一部なんだと言うことが実感を持ってくる。お互い浸み込み合う。解け合い、区別なんかつけなくて良いと思えてくる。

▼イスタンブールとエフェス

果てしなきアナトリアの道を走り終え、私たちは無事エスキシェヘルに到着した。

しかし残念ながら時間の都合でその先は走ることを見送りバスでイスタンブールまで移動することにした。イスタンブールは評判通り魅力的な町だった。混沌としたところはあまりなく 、ヨーロッパのように道が広く整然としていた。

比較の問題でこの程度で驚いてはいけなかったのだが。 数ある見所の中で一番感動したところはアヤソフィアだ。ギリシャ正教の総本山として君臨していただけに貫禄がある。

その後は短い日程をやりくりしてバスでエフェスを見に行った。エフェスだけが特に有名 だがそのほかにもプリエネ、ミレトスといった遺跡が周辺に点在しており、それら一つ一つの積み重なりが重みとして感じられた。秀霞はもっぱら無花果の盗採に夢中だったが。

そして真っ青なエーゲ海とビーチリゾート。このイスラム国で平然とトップレスになる欧州のバカンス客のにぎわいに圧倒され、場違いなところに来てしまったとは少し後悔。 でもよく見ればその中に地元トルコ人の家族連れもおり、恥ずかしながらもパンツ一丁になり、奥さんや子供らに応援されながら海に入っていく男たちがいて微笑ましかった。

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