■[報告]トルコ1(東トルコ)
□作成:2005年1月22日
□送信:オーストリア・ウイーン
オールミーイエからトルコの東南部に入り、息をのむ美しさのワン湖周辺を堪能。そして酷暑の南部へと進んだ。
トルコに入ると急に文明を感じた。まず銀行のATMが田舎町にまであることに驚かされた。
これを使えばカードと暗証番号だけで無限にお金が出てくる。カンボジアからタイに入ったときのような衝撃だ。イランではドルのキャッシュしか通用しなかった。それとは雲泥の違いである。
そして食事に幅が出た。トルコにはキョフテという挽肉団子の煮込み料理があり、どこで も気軽に食べることができた。もっとも値段の高さにも驚かされた。下手をして何品か注文すると400円近くしてしまう。これなら日本の学生食堂の方が安いくらいだ。
もう一つ驚いたのはスーパーマーケットだった。あらゆる物が山積みにされている。そして結構庶民が買いにに来ているのだった。
エメラルドグリーンのワン湖は信じられないくらい美しかった。ワン城に登ると圧倒的なスケールで湖面が広がり、湖面は夕日に赤く染まった。
タトワンから日帰りで行ったネムルート山はさらにさらに美しかった。巨大なカルデラの中には大小の湖があり、宝石のように青く透き通っている。こんなに素晴らしいと知っていたらキャンプ道具を持ってくるべきだった。何日もくつろいでいるというドイツ人夫婦
を見て私は地団駄を踏んだ。
アクダマル島のアルメニア教会もレリーフが良かった。素朴で暖かみのあるタッチはエチオピアの教会で見たものと良く似ている。なおアルメニアに関してはいわく付きなので実は複雑である。世界最初の民族浄化ともいわれるオスマントルコによるアルメニア人大虐
殺(100万人規模)が行われたのもこの地方だからだ。その歴史がなければここはがらんとした「もぬけの殻」遺跡としてではなく、生きた教会としてにぎわっていたかもしれない。
トルコの歴史からその事実は抹消され続けており、ワンの博物館には逆にアルメニア人による虐殺の展示のみがされていた。事実だけをもって事実を曲解する典型的な手法だ。
タトワンから訪れたアフラットの墓標群も見応えがあった。巨大な赤褐色の石版が林立する。付近には古いアーチ橋が今も使われており、中世に紛れ込んでしまった様だった。
トルコに入り、ある町に入ったら怪しい乗用車が近づいてきた。そして「パスポート!」と言ってきた。これがうわさに聞く偽警官だとピンときた。彼らは制服を着ていないし英語も話さない。そしてなにより雰囲気が怪しげだ。顔に「ニセです」と書いてあるくらい胡
散臭かった。
私は適当にあしらい、もちろんパスポートは渡さなかった。どうしてもチェックが必要なら警察署まで行ってから見せる。見せるとしても最初に渡すのはもちろろんパスポートのコピーだ。
イランでも時たま検問があり、パスポートチェックがあったが、なるべく見せないようにしていた。言葉がわからないふりをしたり、別な物を見せたりする。そのうえで笑顔を振りまいていると彼らはたいていあきらめてくれた。だいだい見せたところでわかってもら
えないことが多いのだ。関係ない国のビザをじろじろ見られ、一番重要な第一ページを開かずに返されることすらあった。パスポートは本物の警察であっても極力見せないのが鉄則である。
そんなわけで私は無視して走り続けた。彼らは車で私を追い抜いたり横で待ち伏せしたり背後から追跡したりして監視を続けたが、しばらくするとあきらめて帰っていった。ただ村人が彼らを「ポリス」と呼んでいたのだけ少し気になった。
今となっては何が真実かはわからない、しかし後で聞いたところトルコ東部には無数の私服警官がうようよしており、人々を監視しているという話だった。もちろんクルド人の監視がその目的だ。
考えてみればニセ警官にしては手口が素朴すぎた。実は本物だっのたかもしれない。
涼しい高原を後に私はビトリス、バトマンを経てハサンケイフというチグリス川の要衝跡を見に行った。ここには岩をくりぬいた城が川岸の崖にそびえていた。そして橋脚だけが残るアーチ橋。チグリス川にはその名に恥じぬ貫禄があった。
ミドゥヤットからはシリア正教会の修道院へ行った。修道院と言えばお決まりだが本当に地の果てのようなところにあった。こりゃあ逃げ出したくなっても逃げ出せない。
それにしても全てが白む、酷暑の地であった。
この一帯で異様なのは、走っていると装甲車の一群とすれ違うことだった。
「トルコでは軍は警察で警察は軍なんだ。」
そんな説明を受けたことがあるが確かに区別はよく付かなかった。そしてパトカーが走るように装甲車が町中をうろうろしているのだった。
酷暑の一日を終え、ほっと一息露店で夕食をとっていると何げもなく装甲車が通る。
「ちょっと前まではクルドの音楽をかけただけでしょっ引かれたものさ。」
地元の人は慣れた顔でそう笑った。
一方警察側の人はどうかというとこれがまた人の良さがにじみ出るような人たちだった。
そこここにある検問ではチャイやコーラをいやというほどごちそうになった。要は徴兵で慣れない地方まで飛ばされてきたものの暇を持て余しているらしい。
クルド問題に詳しい人の話だと、トルコ軍はめぼしいところは押さえても山の中はまるで掌握していないそうだ。
地理に疎くては戦にはならない。おっかながってびくびくしており、実際に攻略が行われる際には、貧しい地元の人をお金で買収し、その人たちにやらせるような方法を使ってきたという話である。
ではクルド独立闘争はどうかと言えば、現在のところクルド人にもさほど支持されていないようだ。黙って「トルコ人」であることに耐えればそれなりに普通の生活ができる人々が、命をかけた戦いに投じる理由は多くはない。
シャンリウルファを出ると、巨大なユーフラテス川のダムを横切り、東トルコのメインアトラクション・ネムルート山へ向かった。
この山の山頂には巨大な石像の頭部で有名な遺跡がある。ネムルート山への道は南北それぞれからアクセス可能だったが、道路は通じて無く遊歩道しかないと言う話だった。
私は自転車の特権を生かし、遊歩道経由での山越えを試みた。
ネムルート山は標高約2150mと高く、行程は厳しかった。最近できたという近道ルートは非常に急峻で、その後に続いた本道も走りにくく押しにくい石畳で自分のやっている事がばからしくなるくらいだった。なんとか車道の終点までついてからも今度は遊歩道の階段を担ぎ上げなければならなかった。短いながらも苦行のような行程だった。
山頂は快晴だった。日が暮れるのを待ち、私はテントを張り、夜明けを待った。通常夜明けの空の美しさは日が昇るよりかなり前、やっと薄明が見えてきた頃に最高である。だから明るくなってから目を覚ますのでは遅い。私は寝坊しないよう自分に言い聞かせながら寝袋に潜った。
朝三時ごろ、はっと目を覚ましたら外が明るく輝いているような感じがした。あわててテントを開いてみて驚いた。眼下に巨大ビル群が林立している。そして細かい光の点が無数に蠅のように飛び回っている。右手には、確かに昨日見たままの遺跡のシルエットが見えているのだが、、、
どうやら2000年前の遺跡から2000年後にタイムトリップしてしまったらしい。場所が特別な場所だけに無理もないと思いつつもその光景に我を失い、ただ呆然と見入ってしまった。
空は明るく白み、にぎやかな観光客が現れると、私は現在に戻った。そして東の空を見飽きた頃、朝日がまばゆく昇り、長い影があらわになった。
私は遺跡という峠を越え、地の底に落ちるような道を下り、マラティアへ向かった。
そして一日の休息日をはさみ、さらに起伏に富んだ高原地帯を三日間走り、モダンな街、カイセリへと進んだ。