■[報告]イラン4(ハマダーンからオールミーイエ)
□2004年12月11日
□ブルガリア・プロブディブ
エスファハンを後にして、ハマダーン、タカーブ、そしてオールミーイェからトルコへ向 かった。途中ハマダーンでは地元の自転車好きと友達になり、洞窟探検する事になった。
エスファハンを出ると、また高原のサイクリングが続いた。
しかしザグロス山脈の合間には平地が広がっており、走るには意外と快適だった。例によってイランでのキャンプは容易で、いろいろな場所でテントを張らせてもらった。キャンプの許可がもらいやすい場所
は適度な共有スペースだ。あまり個人的だとお互い気を使いすぎるし、全く逆でも心細い 。
イランは春を迎え、美しさは最高だった。
平野の新緑と花々、それに対する青き高峰と雪 渓の白。
駆け抜ける一台の青き自転車。
自転車の場合走行ルートには一切制約がない。その分自由度が高すぎて悩むこともある。 そんな時私がよくとる方法が「急がば回れ」の逆だ。 ガイドブックに目を通し行きたい場所に丸をつけた後、最短のコースを探してそのコース を走る。近道するとその分道の状態が悪かったり大きな峠がそびえていたりするが、急がなければそれを楽しむことができる。遠回りした上に難コースだと嫌にもなるが近道ならどんなに難コースでも自分を納得させられる。
「寄り道ショートカット」だ。
話は飛ぶが海外から日本を振り返ると、なぜ日本がこんなにも経済的に発展しえたのかという疑問を持つ。それはおそらく輸出産品の品質が高く評価されているからで、それによ
って円が高値を維持できているからだろう。実際、日本製品の品質は非常に高い。それはなぜだろうか。
私はその根本に古代から続く職人の技を見る。奈良時代の今に残る社寺を見てその思いは確信に達した。
日本製の質の高さは電化製品に限らない。お菓子の袋一つをとってみても過度なほど良くできている。
長旅で日本からもって行くべき物は「竹の耳掻き」に加え、「日本製のパンツ」と「何でもないようなビニール袋」である。
一方イランでは美しいモスクにどんなに感動しても、いざ近づいてみるとがっかりさせられる事が多かった。
近づいてみるとタイルの張り方があまりにもずさんでいいかげんだっ
たからだ。上下左右に1cmくらいずれても気にせず、前後にもボコボコ。彼らの作業はとにかく大ざっぱに行われていた。
作業のずさんさは細かい工芸品でも同じだった。少し離れて見る分にはとてもきれいなの
に近づいてみると子供が作ったみたいにあらばかり目立つ。買う気は一気にそがれてしまった。
もちろん局所的な精度だけが製品の価値を決めるわけではない。特に芸術に分類されるよ
うな物に精度という尺度はふさわしくない。
「息を飲む青と澄んだ空間美」
「吸い込まれるような果てなき紋様」
イランのモスクの価値はもちろん普遍だ。
しかし幸か不幸か工業製品について考えてみると、精度の高さがそのまま性能に対応してしまう場合が多い。全体のデザインは多少悪くとも精度の高い物が高出力を叩き出し、長持ちする。
現代は日本にとって幸運な季節なのかもしれない。
一方古代のイランはどうだったのだろうか。
ペルセポリスなどの遺跡へ行ってみよう。堅い石を精密に加工し、紙一枚入らないと思われるくらいぴっちりとつなぎ合わせてある。 それは柱やレリーフに限らず、巨大な石の基壇も同様だった。
ペルセポリスの精度は中世、近代、現代、どの時代の物より高く緻密と言えよう。
残念だったことはその緻密な仕事ぶりを現代イラン人があまり理解していないと思われた事だ。
遺跡へ行くたびに「修復」された部分を見てがっかりした。それは「修復」ではなく、「破壊」でしかなかった。
欠けた石を粗雑に組み合わせセメントで固めただけのような作業。崩れかかった部分には 煉瓦や小石、セメントを無造作に詰めていた。 修復するならば、いままで耐えてきた2500年に見合うだけの慎重さと精度が必要ではない
だろうか。
たとえば物は素材によって熱膨張率が違う。博物館のように温度管理のできない屋外ではオリジナルと同じ素材を使わなければ下手な「修復」がかえって破壊の手助けをすることは想像に難くない。まして20年と保たないような粗悪なセメントを詰めるとは論外だ。見ていられないくらい残念だった。
それにしてもなぜ古代遺跡はこんなにも高精度に、しかも硬い石をわざわざ選んで作られ
ているのだろうか。そしてそれらはどうしてどのように忘れられてしまったのだろう。 しかし考えてみると現代が遺跡になったら未来人は同じ思いに駆られるかもしれない。人
々は年を追うごとに近視眼になり、物を大切にしなくなってきている。
じゅうたんと聞くと「強引なぼったくり商売」みたいなイメージが先行し、全く興味など無かったのだが、何軒か冷やかしに入ったらその魅力に引きつけられてしまった。
まず、模様の多彩さが果てしない。モスクのような複雑な幾何学模様の品から遊牧民のシンプルな文様。動物をあしらった新しいデザインから、絵や写真のような飾るための絨毯
。それぞれ一つ一つのジャンルを作っていた。
その中で私は特に遊牧民の織る素朴な柄に惹ひつけられた。模様や色合いは地方や部族によって異なっており、多少慣れれば見分けられる。これらは主に子供が織っているらしく
、それゆえ私たちが見てもさっぱり意味不明な模様が多い。ところがこここそが遊牧民物のすごさだった。
人智を越した不思議な模様には飽きがない。想像力をかき立てられ、見ふけるうちに癒される。そんな魅力にあふれていた。
絨毯の値段はノットと呼ばれる目の細かさで決まると言われているが、そう単純でもなく 、生糸自体の質、ひとつの目ごとの生糸量、模様の複雑さ、柄の人気具合などによっている。
従って素人が簡単に鑑定できるような物ではなかった。
染料には人口染料と草木染めがあり、草木染めは日にあたっても色あせしにくい。人口染料は色が不自然でけばけばしいからわかるが、一色だけ人口染料を使用した物なども多く、これまた見分けるのは難しかった。
絨毯はトルコで買うよりイランの方が安い。実際トルコで売られている絨毯の多くはイランからの輸入品らしい。その分かイランの絨毯屋はのんびりしていて、売りつけてくるよ
うな人は少なかった。多くの店がトルコ向けの輸出で安定した利益を上げているからだろう。
そしてイランでは観光客よりも地元のイラン人による需要が多い点も押し売りが少な かった理由だと思う。
なお私の目にはトルコ産の方がきちんと四角く織られているように見えた。ここでもイランの大ざっぱ加減が現れている。でも絨毯など正確な長方形である必要など無い。かえってゆがんでいるくらいの方が手作りの暖かみが感じられるくらいだ。
またいつかイランに絨毯を買いに行きたいと思っている。
自分で言うのは恥ずかしいが、私は不注意な性格で、かなり物を無くすたちである。
そのことは自分で重々承知しており、だからいつも念には念を入れて物を無くさないように注意している。しかしそれでもよく物をなくす。普段数十円、数百円をケチっておいて数千円、数万円の物をなくすのだから我ながらあきれてしまう。
しかし悲しいかな、なかなか改まる気配がない。
物をなくしたときは執着せず忘れることが大切だ。
これはかつてアフリカで無くしたモンキーレンチ探しに半日つぶしたのに見つからず、逆にスピードメーターを追加で無くした経験に基づいている。この二ヶ月後、バッグの奥からレンチが発見された時は笑うに笑えなかった。
それ以来私は「無くしたら探さない」をモットーにしている。
しかし懲りずに私は物をなくし続けている。
しかもイランでは連発してしまった。まずザーヘダーンで愛用の電子辞書を無くした。たぶん宿のベットから落ちたまま拾いそびれてしまったのだろう。
あの地方では強盗団による誘拐が警告されていた。なのでもちろん私は戻って探したりしなかった。電子辞書は私の身代わりとなって誘拐されてくれているのだろう。
続いてハマダーンではスピードメーターを無くしてしまった。
滝を見に行ったときの出来事だ。
盗まれまいと自分で外しておいて無くすのだから世話ない。この時の敗因はメーターをフロントバッグのサイドポケットに入れたことだ。滝周辺の岩場を飛び回っている際抜け落ちたのだろう。
これ以来「ファスナーのないポケットは物が落ちる」ということをようやく学習し、なるべくファスナーを利用するように気をつけている。
さらにハマダーンではデジカメのUSBケーブルも無くしてしまった。まったく情けない。
今度の教訓は「不用意にケーブルは外さない」である。
スピードメーターは無くしてはならない物の一つだった。その大きな理由は私がWebサイトで「日毎メモ」をやっていることだ。
毎日の天気、宿泊場所、食事内容、コメントに加えて日々の走行結果を公開しているのである。スピードメータが無くなるとそれがつづれなくなってしまう。これは大問題だ。 最悪の場合エスファハンかテヘランまで買い出しに行くことを覚悟し、だめもとでハマダーンの自転車屋をまわった。
結果驚くべき事に、この小さな町にスピードメーターは売られていたのだった。しかも安 価な台湾製であった。これはおおいに感謝しなければならない。私はその中では一番高価な、といっても10ドルくらいのメーターを購入した。
スピードメーターを買ったとき幸運があった。地元のMTB少年と知り合うことができた事だ 。
オミッド少年は若干17才、生意気にもジャアントのフルサスバイクに乗ってウイリーを決める。その彼が昼食にと家に招待してくれた。その後、彼の友人で非常に紳士的なジャムシッド君26才と合流し、山へ日帰りサイクリング行くことになった。
ハマダーンの南には標高3572mのアルヴァンド山がそびえている。その中腹まで農道のような林道を走り、担ぎ上げ森林限界まで登った。途中の農地にはサワーチェリーがたわわと実り、休憩の度に盗採して味わせてもらった。文字通りかなり酸っぱいが、タダほどうまい物はない。 目的地は正に桃源郷のようだった。真っ青な空の下、清い清流が流れ、牛や馬が芝生を噛 んでいる。遙か高峰には白い雪が光り、子供らの歯も光る。僕らはなぜか木の上に自転車 を乗せて記念撮影をした。イランの人たちも一旦客人を迎えるとなると本当に際限なくもてなしてくれる。日が暮れるころやっと町に戻ったと思ったら高台のおしゃれな公園へ行こうと今度はオートバイにまたがることになった。
ジャムシッド君は自転車屋のメカニックで知識がありすぎるのだろう、出発前にお店によって何を始めるのかと思ったら、3人乗りの上り坂に備えて手を真っ黒にしながらバイクのスプロケットを交換し始めた。まじめな普段の仕事ぶりが目に浮かぶようだった。
一日挟んでから私はハマダーンを出発し、約70km北にあるアリトザル洞窟を目指した。
ジ ャムシッド君とオミッド少年も私に合わせて一緒に走ってくれることになった。彼らはとことん人が良い。 走行直後、ジャムシッド君の後輪車軸にトラブルが発生した。彼は「次の町で」と言い残 し、一人スパートをかけた。 追いついて彼の自転車を見て驚いた。欠けたと思われるベアリングは再充填済みだったが 、まだ軸が曲がっている。僕が指摘すると彼は「日本製じゃないからね」とさらりと言っ てからニカッと笑い、軸を金槌でたたき始めた。なるほどさすがはメカニック、お手の物だ。
アリサドル洞窟に着く直前、ジャムシッド君は急に右の小道に入り、到着を告げた。ここが彼の言うお勧めの無料洞窟だった。
まさかイランでケービングする事になるとは思わなかった。しかしこうなれば挑戦するほか無い。雨具を着込み、自転車のヘルメットをかぶったまま、ヘッドライトだけで真っ暗 な洞窟にもぐった。 入洞直後、いきなり岩場の難所到来。下には冷たい底なしの池がある。ジャムシッド君が 親切に立ててくれた細いろうそくを見て、私はよけい心細くなった。
一方オミッド少年は 「寒いから帰る」と早くも弱音を吐く。それをなだめながら自らも励まして奥へ進んだ。 20分くらいは歩いただろうか。最後に難しいトラバースから腕力に頼ってのよじ登りをクリアし、奥の池を拝んだ。
美しい。
翌日はイランで最大というアリサドル洞窟へ入った。
ここは立派な観光洞。もう落ちる心配もライトを無くして行き倒れる心配もない。中には巨大な湖があり、その中を足こぎボートで進む趣向だ。二人は夕べ帰ったのだが、ジャムシッド君は僕を案内するためだけにオートバイに乗って再び来てくれた。感激だ。彼はよほど洞窟が好きなのだろう、まわりの見ず知らずのイラン人観光客相手に熱心に説明をする。もちろん僕にもいろいろ教えてくれるが、いかんせん私は言葉がわからない。 それがつらかった。
イランの洞窟は照明のセンスが良かった。無味乾燥な日本、けばい中国、ベトナムと比べ洗練されていた。照明が控えめで「闇」をきちんと演出しているところも素晴らしかった 。
アリサドル洞窟の後はダートの「寄り道ショートカット」を抜け、タクテソレイモンという美しい泉のある遺跡を堪能した。そしてイラン最大のオールミーイエ湖の西岸、オールミーイエへと快走した。
ここまで来ればトルコももうすぐだ。町にもトルコ語の看板が出て国境の雰囲気を盛り上げる。
結局巨大なイランの端から端まで二ヶ月近くを費やした。しかしそのイランにも別れを告げるときが来た。
次はもうアジア最西端の国・トルコだ。