■[報告]イラン3(ケルマンからエスファハンへ)
□2004年11月10日

▼概要

ケルマンから変化に富んだ最高の道を走り、シーラーズへ。そして「世界の半分」エスファハンへ行った。

▼シーラーズ、そしてエスファハンへ。

ケルマンからの道は変化に富んでいてとても面白かった。豊かな草原地帯の丘を越えると、巨大な干からびた塩湖があり、無数の遊牧ラクダに出会ったりした。そして無人地帯の草原と山を越えると、今度はフラミンゴで有名なバクテガン湖が待っていた。
ガイドブックのお勧めに従ったものの、本には一時旱魃で干上がったと書かれており、期待はしなかった。しかし行ってみるとちゃんと水が満ちており、フラミンゴが多くの群を作っていた。線のように湖を染めるフラミンゴは近づいてみると意外とガアガアと騒がしかった。とはいえ、警戒心はとても強いようで近づくや否や一斉に飛び去ってしまった。ああ、どこかで見たフラミンゴが飛んでいる写真は驚いて逃げているのを撮ったものだったんだ、そう思い当たった。悪いことをした。
バクテガン湖の湖岸は一部干からびた塩がそのまま道になっており、自由気ままに走ることができた。自転車は基本的に自由な乗り物だが、それとて通常道から外れることは出来ない。ところがここのような場所ではその「道」からも自由になれるのである。しかも湖と山がある以上砂漠と違って迷う心配が無い。この開放感はぜひあなたにも体験してもらいたいものだ。
ここは間違いなくイラン最高のサイクリングコースだ。こんなに楽しい道は世界中探しても多くはないと思う。

イランの郊外では毎回キャンプをさせてもらった。大抵町外れで適当な農家を見つけて転がり込む。テントと自転車が写った写真を見せ、一泊させてもらうことをお願いする。イランではまず断られることが無かった。それでいて必要以上に干渉させることも無く、とても気持ちよくキャンプの旅が続けられた。基本的にはパスタをゆでて自炊したが、ペラペラの通称「紙パン」や野菜をいただいたことも多かった。お礼にはいつもビスケットやパスタを残していくことにした。
暑くてのどが渇くので西瓜もよく食べた。なるべく小さいのを選ぶのだが、それでも十分巨大で一つ60円くらいだった。これをもって走るのはさすがに重い。それでも水を飲むよりは後でのどが渇きにくいしおいしいので毎日のように食べた。キャンプさせてもらった先で半分渡すこともあった。
シーラーズの町を出るところにコーラン門という門が立っていた。現在は全体が公園になっているのだが、私は自転車の特権で歴史に習いこの門をくぐってシーラーズを離れた。そして有名な古代遺跡のペルセポリス、そしてパサルガタへ行った。規模だけで言えば期待ほどは大きくなく、ましてあのカンボジアのアンコールワットを見てしまった身には小さくも感じられたが、精密に組み上げられた石の基壇や、レリーフが素晴らしかった。

エスファハンへの最終日、自然はすてきなプレゼントを私に贈ってくれた。強烈な追い風だ。平地で何もしないのにぐんぐん速度が上がり、ついには毎時40kmに達してしまった。そしてそれは驚くほど吹きつづけ、30分以上にわたりひと漕ぎもせず走りつづけたのだった。私は二日間の行程、198kmをたった一日で走りきった。これも自己最高だ。
エスファハンの入り口にはセィオセ橋があった。これは1602年建造の長さ300m、33連のうっとりするくらいきれいなアーチ橋である。現在歩道橋になっていて、自動車は通行できない。ここでも私は自転車の特権が威力を発揮した。歴史上の人物に習いセィオセ橋を渡りエスファハン入る。つまらぬことと思われるかもしれないが、自転車で旅していて本当に良かったと思える瞬間だ。

▼世界の半分

エスファハンは「世界の半分」とさえ呼ばれた美しい古都である。この町は本当に美しかった。確実に脱帽の域に達していた。町の南にはセオセ橋をはじめ美しいアーチ橋が連なり、河岸には端が見えないほど広々とした公園、遊園地、そしておしゃれなチャイハネ(喫茶店)が並んでいた。町の目抜き通りには緑あふれる中央分離帯があり、市民がのんびり話ができるほどゆったりとできていた。
そして誰もが感嘆するのが中心のエマーム広場だ。砂漠地帯の建造物は概して内向きに作られている。だだっ広く「圧迫感のある」果ての無い空間から逃れるためだろうか、中庭のような閉じた空間に入ると落ち着くし、逆に広々とした印象すら受ける。中庭の中央には芝生や池がまたゆったりと配置されており、噴水が涼しげだった。
圧巻きはエマームモスク。飲み込まれるような藍色、床に敷き詰められたビーチのような水色のタイル。差し込む強烈な太陽光は幾度もタイルに反射した後、柔らかに空間を包んでいるかのようだった。
エマーム広場には他にはモザイクタイルで作られたシェイフ・ロトゥ・フォッラーモスクやアーリー・ガープー宮殿が花を添えていた。
どちらもエマーム広場でなければ主役間違い無しの逸品で、息を飲む美しさだ。特に私は一見地味なアーリー・ガープー宮殿が好きだった。ここには巨大な木柱に支えられたバルコニーがあり、木造建築が好きな私には興味がそそられた。また楽器の形にくりぬかれた穴に囲まれた音楽室なども素敵だった。音響効果を考えて作られているそうだ。
エスファハンのエマーム広場では流暢な日本語を話すイラン人のAさんにも会うことができた。通常観光地で日本語なんかで声をかけられたらまず客引きと考えて間違いないのだが、Aさんは単に日本好きの親切な方だった。北関東に住んでいたらしく、訛りが入った日本語がまたいい味を出していてた。
本職は絨毯の輸出だそうで、しょっちゅうトルコにも行っているそうだ。実際日本人旅行者の間ではかなりの有名人で、イスタンブールでの目撃情報もあちこちでうわさされていた。彼から聞いたイラン裏事情は通りすがりの旅人には計り知れない事柄ばかりでとても興味深かった。

▼あこがれの国

日本人が描くイランのイメージはどうだろうか。一部の無知な欧米人のように「テロリスト」では無いにしても「かたくななイスラム国家」らしく、よくつかめていないのが現実だろう。私自身イランに対してイスラム教や鮮やかなモスク以上のイメージはあまりなかった。
まずイランで驚かされたことはその想像以上に欧米と近く、近代的な暮らしをしていると言うことだった。特に裕福な層は当たり前に携帯電話を持ち、自家用車を乗り回し、ハンディーカムで家族との思い出を記録するような生活をしている。公園にはカラフルな遊具が並び、青々とした芝生や花壇が鮮やかだ。夜は夜でヤシの木型のネオンがまばゆく光る。家にはパソコンやDVD、大型テレビなど日本にある物はすべてそろっていると言っていいだろう。
そんなみんなのあこがれがアメリカだった。その愛は一途な片思いで、一時熱を上げてみたものの裏切られてしまったイスラム革命の裏返しでもあるようだった。はっきり言ってイランほど親米的な国を私は見たことがない。韓国や台湾、そして日本も親米(?)だが、そこには政治的な意図が見え隠れしている。それに特に一国に偏っているわけでもない。しかしイランのそれには掛け値がなかなか見あたらなかった。
イランの町を歩くとハンバーガーやサンドイッチ、ピザの店が文字通り軒を並べている。そしてペプシやコカコーラの看板。ミッキーマウスの下手な絵や人形がうれしそうに並んでいた。ファッションもTシャツにブルージーンズを積極的に着ているようで、古き良きアメリカみたいな雰囲気だ。女性が真っ黒黒なのと対照的に男性には特にルールが無いらしくカジュアルに、でも頭はばっちり油で固めるようなスタイルが多かった。
そこで英語のできる大学生に会うたびに聞いてみることにした。なぜそこまでアメリカを愛しているのかと。

「僕らはハンバーガーやジーンズだけが好きなわけじゃない。自由といった思想が好きなんだ。」

アメリカについて語り出すと、彼らの目はキラキラと光った。それは、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい無邪気な、子供のような笑顔だった。

「イランには自由が全くないんだ。至る所に私服警官が隠れている。」
「未婚の女性と一緒に歩いただけでしょっ引かれるような国なんだよ。だから僕らには自由が必要なんだ。」
「でもそのアメリカはイランを『悪の枢軸』って言っているよ。」
「彼の国の言う『自由と民主主義』ってどんなものなの?」

そして僕はさらに意地悪な質問を続けた。
「もしアメリカが攻めてきたらどうするの?」
「そりゃあ僕らはイラン人であり、それに誇りを持っている。だから敵が攻めてきたら戦うと思う、けど。」

はっきりしない答えは重かった。あっては欲しくない矛盾。その重さがイランの現実であるに違いない。
白色革命、イスラム革命とイランは180度針を回しながら進んできた。そしてある人に言わせると、また180度針を回し「アメリカに植民地化されるのを待っている」のだそうだ。
もちろんこれは痛烈な皮肉であり、私もそうは思わない。しかし一方心配な事は双方が精鋭化し、単純な二元論になりがちになっている事だ。現実の世界は複雑怪奇で、善悪に単純化できることはあり得ない。そのくらい小学生にもわかりそうな事なのに誰も彼も世界を単純化する。近年アメリカは凶悪な部分を具現化しすぎてしまった節もあるが、それとて世界征服を企んでいたりする訳じゃない。事実イラク戦争を通じ彼の国はそれまで持っていた実質的な世界的影響力を失っているのだ。世界征服どころかむしろ自滅の道を歩んでいるとさえいわれている。
ある別な旅人は「現政権打倒のために命を捨てる」と豪語する人に出会ったそうだ。短絡的なロジックに陥らず、しっかりと現実を見つめ気長に少しずつ現実を変えてゆく、そんなねばり強さをもってくれたらと思う。急激過ぎる変革がささやかな生活を破壊しないことを祈りたい。

▼イラン料理

イランには料理が二種類しかないと聞かされていた。ケバブwithライスとライスwithケバブだ。もちろんこれは勝手なツーリストの取るに足らない愚痴だが、残念ながら私にとってもイラン料理はあまりおいしいものではなかった。
サンドイッチもそこここで売られていたが、褒められた味ではなかった。手軽な分ずいぶん利用させてもらったがなにせ単調すぎる。肉、ハム、ソーセージの類は何種類かあるのだが、すべてただ焼いただけといった調理方法なのだ。そして決まって輪切りトマトとキュウリのピクルスだけが加わる。バターやソースの類はまず入らないと言ってもいい。これに塩をふって食べるのがイラン流だ。ハンバーガーも多い。でも哀しいかなパンの形以上の違いがあるようには思えなかった。
イラン料理にはいくつかポイントがあるが、肉を焼いただけというスタイルが多い。また野菜を調理する習慣がないらしい。トマトの丸焼き程度の「調理」しか見あたらなかった。これはこれでおいしいのだが、なにせ直火であぶったような調理方法なので表面がまる焦げである。そして予想通り火が芯まで通ってなかったりするからあきれてしまう。一部豆や小さなレンズマメを煮たスープもあり、ほっとさせられるが、それとて多少大きな町で無いと食べられなかった。
また、イラン料理には基本的に味が無い。スパイスは結構売られているのになぜあまり使われていないのだろう。味は単調な塩味、ないし漬け物で極端に酸っぱいかの二通りだった。
クービーデという国民食である挽肉のケバブも申し訳ないがとてもおいしいとは思えなかった。つなぎが多すぎ、すかすかしていてただ油っぽかった。類似したケバブをパキスタンで食べたときは絶品だったのにどうしたことなのか。
「イランの料理をレストランだけで判断するのは間違っている。家庭料理は全く別ものだ。」
そう言う話もよく聞いた。実際私もそう思う。確かにピクニック中の人たちからいただいた料理はお店のものより格段においしかった。鶏の網焼きなどは特においしかった。しかし、それでもクービーデになるとがっかりさせられる事が多かった。
ところがなんとイラン料理がおいしいという日本人に会った。彼はインドパキスタンのマサラ系の料理。スパイスのいろいろ入った料理が全く受け付けられなかったそうだ。なるほど確かにイラン料理はスパイスがほとんど使われないし、唐辛子で辛いこともない。だから彼にとっては最高なのだろう。
さらに後日、私が料理したパスタを地元の人に食べてもらう機会があり、異文化理解の難しさを改めて実感した。彼らは私が自信を持って作った料理を「おいしくない」と言って拒否し、缶詰を食べ始めてしまったのだった。無礼な彼らに私はいささか腹を立てたのだが、彼らにしてみれば私の味付けを体が受け付けなくて泣く泣く缶詰を開いたのだろう。
私は短期旅行ではないので、時間をかけてその国の味に慣れることができる。そんな幸せな旅を続けていたが、イラン料理のおいしさに目覚めるには2ヶ月弱ではまだちょっと不十分だったようだ。またいつか食べに行かねばならぬかもしれない。
なお、イラン西部にはアーブグシュトという煮込み料理があっておいしかったこと、キュウリやスイカ、それにクリームチーズとヨーグルトもとてもおいしかったことを付け加えておく。

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