■[報告]インド3(デリーからダラムサラ)
□パキスタン・ラホールにて作成:2003年10月11日
□パキスタン・クエッタにて送信:2004年4月21日

▼概要

デリーを出発し、ヒマラヤの南端、ダラムサラを訪れた。そしてパキスタン・ワガ国境を目指した。

▼古本

アジアを旅していて一番ありがたいと思うことは、所々で日本語の古本を買うことが出る点だ。もちろん洋書をすらすら読めたら良いのだが私には英語版ガイドブックが関の山である。すこしづつ改善したいと思っている事だがどうしても日本語のようにはいかない。
日本語の本はバンコク、カルカッタ、デリーなどの大都市の旅行者街で見つけることができた。バンコクでは値段も手頃で何冊も買ってしまったが、インドでは商売が手硬く、値切るのに苦労させられた。それでも自分の目で確認しながら本を選べるのはとても幸せなことだった。ちなみに台北やバンコクには紀伊国屋書店すら存在している。そこには山ほど新書が並び、日本にいるような錯覚にすら陥った。便利な時代になったものだ。ただし値段はとてもとても高かった。
それから、ぜいたくを言ってはばちが当たるが、インドにあった日本語の古本にはろくな本が残っていなかった。読み捨て型の推理小説から女性向け恋愛小説。そして下らぬ実用書に官能小説まで並んでいる。あまりの低俗さに嘆かされ恥すら感じたが、逆に言えばまともな本は売れるからカスだけが残っているのかもしれない。私は無理にでもそう信じたい。
そんな低俗な古本屋の中でも時たまおもしろい本が見つかる。デリーで見つけた生態人類学の本も大当たりの一冊だった。正にインドで読むにふさわしい、知的な刺激に満ちあふれた一冊だった。これについては続いて述べることにしよう。

▼聖なる牛と菜食主義

ヒンズー教で牛が神聖視されていることは有名な話だ。そのためだろうか牛はこの国のどこにでも出没し、交通妨害し、糞尿を垂れ流していも許される。特に自転車の立場としてみると車のマナーは人に対するより牛に対する方が遙かに良いというのが実感だった。人や自転車に対する場合、ドライバーは免罪布的にクラクションを鳴らしただけで、すれすれを通過していく。しかし動物、特に牛の場合には必ず減速し、それらの通過を見届けていた。牛の方もそれを知ってかよほど車が近づかない限りどこうとしない。はじめは信じられない光景だったのだが、インドでは牛が道路の真ん中であたりまえのようにくつろいだり寝たりしているのだった。
この状況は都会でも変わらなかった。デリーの市街地でさえ牛はのうのうと闊歩し、糞尿を垂れ流している。したがって迂闊に歩いているとその軟便を踏みつける羽目になる。実際私も何度も踏みつけては悔しい思いをさせられたものだった。
ヒンズー教徒はベジタリアンである。従って通常肉を口にすることはない。ただし乳製品に関しては宗教上の問題はなく、チャイ、クルド、ラッシー、そしてチーズなど質、量ともに非常豊富だ。
インドのベジタリアンの強さを感じるところはなんと言ってもファーストフードだと思う。あのマクドナルドでさえ、ビーフバーガーを売っていない。非菜食としてはかろうしてチキンバーガーとフィレオフィッシュが健在だったが、それとて主力製品ではなかった。
それでは何が主力になるかと言えば、ベジタブルバーガーだ。これは薄い野菜コロッケみたいな物である。マックベジバーガーなんてのはインドでないと味わえないに違いない。

ところが、「ヒトはなぜヒトを食べたか」(*)という生態人類学の本を読んで驚かされた
。 実はインド人も肉を食べた時代があったと言うからだ。しかも現在、菜食をより厳守する上位カーストの人々こそが肉食を特権化して食べ続けてきていたという。この著者の説をごく簡単に説明しよう。

まず、かつて聖職者の役割は、家畜の供儀を行いその肉を再分配することにあったという。
ところが人口増加の圧力に対し、文明は人口の抑制という手段を放棄し、生産の拡大という手段を採用してしまった。(絶え間ない再生産の拡大こそが農耕の起源だ、というところがこの本の読みどころなのだが、ここでは省略する。)そのうちに生産は人口増加に追いつかなくなり、深刻な食糧不足が発生した。そして人々はエネルギー効率の悪い肉食を放棄せざるを得なくなってしまった。これが菜食主義の起源だと言うわけだ。
そして旱魃時にも牛をほふる事の無いよう、神聖化したのではないかという。もし旱魃時に耐えきれなくなり、牛を食べてしまえば翌年以降の農耕は不能になり、結局生き延びられないからだ。
さらに筆者はイスラムにとっての豚を全く同じ論法で説いている。牽引動物として役に立たない豚はヒンズーの牛とは逆に禁忌される運命にあったという。またなぜ中国では牛・豚ともに同様の道を歩まなかったかについても同様の論法で詳しく議論が展開されており、非常に興味深かった。

それからこの本の中でもう一つ非常に興味深かったのが、ヒンズー教の菜食主義の直接的なきっかけが他宗教にあったのではないかという話だった。当時ヒンズー教の特権階級や身分制度に対抗する形で発生した仏教やジャイナ教は、徹底して殺生を非難し、動物供儀でなく瞑想を押し進めた。そして特に仏教が国教化されたアショーカ王の時代にヒンズー教も不殺生(アヒンサー)の影響を受けたのではないかという。
なるほど思い起こしてみるとインドでは今もアショーカ王の人気が絶大だ。アショーカピラーの獅子像はインドのシンボルで現在も全ての紙幣にも印刷されている。また、身近なレストランからホテル、会社の名前でもアショーカという名前はありふれている。なぜヒンズー教のインドが今なお仏教国だったアショーカ王に親近感を持つのか不思議だったが、逆にそこにこそ現代のインド、ヒンズー教につながる原点が凝縮されているからなのかもしれない。

(*)「ヒトはなぜヒトを食べたか/生態人類学から見た文化の起源」マーヴィン・ハリス/鈴木洋一訳/ハヤカワ文庫

▼ダラムサラ

デリーからまっすぐパキスタンへ向かう予定だったが、ついつい欲を出してチベット亡命政府のあるダラムサラ(McLeod Ganj)を訪れた。ここはヒマラヤ山脈の南端で、壁のように迫る山壁のへばりつくような場所だった。
まだモンスーンの影響が残り、雨も多かったが、そのため空気は驚くほど澄んで美しかった。
私はチベットへ行ったことがないので、その状況は良くわからない。ただ、チベット問題が過去の亡命者とその子孫に限られていないことを強く思い知らされた。チベットからは今なお危険を冒してヒマラヤの峰峰を越えてくる人が年に2000人もいるからである。(総計13400人(2002年12月)。チベット亡命政府発表資料より)
ダラムサラに住んでいるダライラマ14世は現在、香港マカオ型の一国二制度によるチベットを提唱しているという。しかし中国はまだそれを聞く耳を持っていないようだ。
ちなみにダライラマというと生き仏というイメージが強いが、これは中国語の「活仏」という誤訳から生まれた誤解だそうで、ダライラマ自身の自伝には、はっきり「私はただの一人の人間である」と書かれていた。ただし歴代のダライラマの転生者である点については本人にも否定していない。

▼シーク教の聖地

アムリトサルにはシーク教の聖地、ゴールデンテンプルがあった。シーク教はイスラム教とヒンズー教の長所が融合された比較的新しい宗教で、髪の毛を覆い被すターバンを常に着用していることでも有名である。ここパンジャブ州はインドの中でも非常に豊かな土地であり、そのため海外に留学、移住する人も多いそうだ。パンジャブ州はシーク教徒の比率がとても高く、それ故「インド人=ターバン」というイメージが生まれたそうである。
ちなみにタージマハルはイスラム教の墓陵なのでターバンのシーク教徒との組み合わせは宗教的には整合していない言える。もちろん現実にはタージマハルに訪れるシーク教徒も大勢いるわけで珍しい光景な訳ではない。
ゴールデンテンプルで驚かされたことは無料の宿泊所に加えて無料の食堂まであることだった。この規模が半端ではない。巨大な講堂のような建物に長いござがひかれ、続々と人々が並んで腰を下ろしていく。するとバケツを持ったボランティアの人たちが水やダル(小さな豆類の煮込み)、チャパティなどを次々とよそいでくれるのだった。この食堂、なんと24時間営業で、毎日約50000人の人が施しを受けているという。平均1.7秒に一人という計算だ。これは実際に見た状況そのままであった。
ゴールデンテンプルには一にも二にも人が溢れ、ごった返していた。参拝者はシーク教徒に限らず、ヒンズー教徒や外国人の姿も多かった。そしてその全員が髪を覆い、靴を脱ぎ、荷物を預けて参拝する。従って靴置き場はそこらの小学校の下駄箱などよりも遙かに規模が大きかった。寺院は膨大な参拝者にも関わらず全てがよく組織化されて運営されており、流れるように人々が参拝し続けていた。
無料宿泊所のトイレも大規模で驚かされた。外国人観光客には専用の部屋が用意されており、特別に専用シャワールームまで用意されていた。私はここを起点に裸足のまま何度も寺院を訪れた。

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