■タイトル バングラデシュ2(人垣の深部)
□文章作成 インド・ブッダガヤ
□作成日時 2003年7月24日

▼概要

ダッカでパキスタンビザを取得。しばし滞在後、一直線にカルカッタを目指した。

▼強引な政治と貧困問題に

ダッカである日本人に会うことができた。若干23歳。単身バングラデシュに乗り込み、貧困問題に取り組もうとしている渡辺さんだ。彼のユニークでまた力強い点は既存の組織からはまずは独立した目で見たいと語学留学という形で大学に入り、その中から問題解決の糸口、共に行動できる人脈を探ろうとしていた点だ。まだ半年とは言え、ベンガル語の語学力は既に新聞を読めるほどだそうだし、人脈に関しても大学内に限らず、「政治バカ」でなくて「本当にこの国を良くしようと考えている人たち」と知り合うことができているそうだから、着実に駒を進めているように感じられた。本当にゼロから始めてゆくのだから大変なことだろうけど彼なら必ず成し遂げられるに違いない。
どこの国でも言われることだろうが、バングラデシュの政治がひどい事は誰もが認めるところらしい。政権が代わる度に紙幣が代わり、都市計画すら大幅に代わってしまう。だから政府は場当たり的な突貫工事ばかり行い、期限が切れ政権が代わってしまうと、たとえ9割完成していたとしても放棄されてしまうのだそうだ。汚職、利権の独占は日常茶飯事で突拍子もなく税制が変更されたりして、とにかくひどい状態らしい。
たとえば公害対策で全てのオートリキシャをLPGにした際、市内に4カ所しかスタンドを作らなかったそうだ。だからドライバーは毎日一日の半分を給油のための行列に費やしているという。
「小学生でもわかるようなばかげた事が時としてまかり通る。」
そう言って彼は苦笑した。
ところがそこで政治批判に固執しないところが彼の偉いところだった。
「それを言っても始まらないから、どうしたら状況が変わりうるかを考えているんだ。」

具体的には都市への人口流入の阻止、そのための農村部での雇用拡大、そしてさらにそのための底辺への教育啓蒙活動、あるいはフェアトレードの構築などを考えているそうだ。
道のりは長く険しいに違いない。でもあきらめていては何も始まらない。
彼の前向きな姿勢と明るさが印象的だった。

▼恐怖の交通事情

バングラデシュの交通マナーは最悪だった。話には聞いていたがそれは悪評を裏切らず最悪だった。どのくらいひどいかと言えばインドに入ってマナーの良さに驚いたくらい、と言ってわかってもらえるだろうか。
要はけんかだった。ただでさえ見通しの悪いカーブ、大きなトラックに隠れてしまうような乗用車が無謀に追い越しをかける。そして対向車に気づくのが遅かったらどうなるのか。
信じられないことだが、ここに急ブレーキという回答はない。対向車を半分未舗装の路肩にはみ出て、臨時三車線の様な状態でぎりぎり交わすのが常だった。
細い二車線路で追い越しをかけてきた対向車。黙っていると私と正面衝突してしまう。これは正にチキンレースだ。相手がよけるか、私がよけるか。しかしまず相手がよけてくれることはない。まるで私という存在が目に入っていないかのごとくトラックは猛突進してくる。仕方なく私は頃合いを見計らって少し低くなった未舗装の路肩へ回避する。これはもちろん計算済みだが、もし私が勝てば私は路肩に落されることなく走行を続けられる。
そんなレースを何度と無く繰り返した。
バスのマナーの悪さも最悪だった。彼らは道すがら町があると、止まるほどの速さになり決まって客引きを始めるのだった。当然後続車は渋滞する。もちろん対向車線でも同様にバスは客引きを行い、渋滞が発生している。
後続車にそれらを待つ従順さがあれば、それでも秩序は守られるはずだが、そう行かないのがバングラデシュ。無理な追い越しが双方で何重にも発生し、追い越し車両同士面あわせになり身動きがとれなくなる。少し考えればすぐにわかるような結果をどうして予想できないのだろうか。道路拡張はすぐには無理としてもせめてバス停を定めればずいぶん改善されると思うのだが。

▼恐怖のバスファイト

バスファイトはバングラデシュ名物らしい。滞在中「幸運」にも見る機会が与えられた。
でもガイドブックに載るくらいだから何の自慢にもならぬ程ありふれている事なのかもしれない。
場所はチッタゴン近くの田舎道。ほぼ一車線しかない細い舗装路の曲がり角で二台のバスが鉢合わせになり、身動きがとれなくなっていた。どちらかが引かない限り解決されないのは明らかだが彼らはお互い絶対に引かなかった。そしてけんかが始まった。
このバスファイト、動機が笑ってしまうくらい子供じみているが、結構エキサイトする。
もちろん口論から始まるがそれでは収まらない。
この時は屋根に乗っていた乗客の一人がなんと対面のバスの屋根に飛び移り、そこから手に届く木の枝を矢継ぎ早に折った。そして木の葉をかきむしり手頃なサイズの木の棒を作ると屋根の上から運転手に攻撃を仕掛けたのだった。
ちなみにこの時は多少大げさなそぶりもあったが本気の時もあるらしい。私が会った旅行者の話では(つまり彼もまた短いバングラデシュ滞在中にバスファイトを目撃しているのだが)なんと煉瓦が飛び交い、窓ガラスが割れたのだそうだ。まったく信じられない世界である。
見知らぬ旅人に優しく暖かいあのバンクラデシュ人が、こうも子供じみた下らぬ内容で熱くなるとは信じられなかった。

▼恐怖の塩酸犯罪

初めて聞いたときには信じられなかったが、バングラデシュでは塩酸犯罪がかなり社会問題化しているらしい。多くの場合男性が女性に対してかっとなり、顔に塩酸をかけてしまう犯罪だ。それは夫婦間の場合もあれば、ふられた腹いせという場合もあるそうだ。ともかく結果皮膚はただれ、それはそれは見るに見かねるような状態になってしまう。
ダッカ滞在中、たまたまそれを告発する写真展が行われており、見に行くことができた。
その状況たるは半端なものではなかった。人の顔がここまで溶解して、失礼ながら正に妖怪の様になっていた。それらは原爆資料館などで見たどの写真をも越えるような燦々たるものであった。
これらの犯罪がはびこってしまう原因には社会的にまだ女性蔑視が強いからだという。それにしても一体どこからそんな薬品を入手するのだろうか。そしてそれが及ぼす結果を知っていてどうしてそんな犯罪に手を下してしまうのか、理解の範疇を遙かに越えている。
こんな所でも私は痛烈に「異国」を感じていた。

▼恐怖の人垣

山ほど荷物を自転車に積んで走っているといろんな国でたくさんの人に囲まれ、質問責めにあう。しかしバングラデシュの規模はこれまた史上最大であった。
10人、20人は当たり前。50人、100人、200人。くるはくるはどんな田舎でも少しづつ人垣は膨らんでいき、文字通り身動きがとれなくなっていく。ちょっとした有名人のような状態になってしまうのである。
幸いバングラデシュの場合、人々はただ単純に好奇心を持ち、友好的な気持ちで集まってくる場合が多く、さほど苦にはならなかった。人々が友好的なのか単なる野次馬なのかは簡単に区別できる。それは彼らの表情の自然さであり、全体から受ける圧力、雰囲気の違いだった。

ダッカを出発した晩、私はバティアパラという小さな村に泊まった。この国のありがたいことはバティアパラの様なかなりの田舎でも政府系のレストハウスが用意されており宿が見つけやすかったことだ。客など滅多に来ないからさびついて蜘蛛の巣が張っているのが難点だがあるだけずいぶん助けられた。
バティアパラのレストハウスは田舎らしく平屋で、一軒二部屋の小さな建物だった。ゆったりとした作りのダブルルームでバストイレ付。そう書くといかにも聞こえは良いが水道は無く、バケツの水で行水し、トイレを流さなければならない。当然のようにトイレには蜘蛛の巣が張っていたし、電気は私が来てから急拵えで隣の部屋から引っ張り、電球を持ってくるような状態だった。
窓にはガラスはなく、防犯用の鉄格子に加え、木製のブラインドが付けられていた。そしてこれが部屋の三面をとり囲んでいた。汚いベッドをのぞけば開放的ないい部屋に違いない。
私は宿をとるといつも室内に自転車ごと入ってしまう。安全性、そして利便性からもこの方法が一番良いからだ。幸いここは平屋で広かったのでこの件も楽にクリアすることができた。

最後に最大の問題が人垣だった。大人も子供もしめて2、300人は下らなかっただろう。好奇心にとりつかれた人たちが部屋の三方から私の一挙手一投足に視線が集中する。パンダの気分だ。そしてドアからは片言の英語を話す連中、話さない連中が雪崩のように部屋に入り込んで来るのだった。みな興味津々で国名、名前、年齢、職業など次々に質問する。
それが代わり番こに永遠に続くからたまらない。これは悪夢だ。私はバケツの水が届くのを待ち、ようやく全員を外に閉め出すことに成功した。
水浴びを終え、トイレのドアを開ける、と同時にバタンバタンという木製ブラインドを開ける音が鳴り響き、三方の窓・ブラインドの隙間に無数の双眼が光った。そして、ドアを開けて〜、どこから来たの〜、名前はなあに〜、と聞き飽きたフレーズがこだました。これはやっぱり悪夢だ。
この日は夕食もままならなかった。なんとか軽食屋まで行って揚げパンのようなものを食べたまでは良かったが、店の前では私を一目見ようという群衆と店に入れさせまいとする店員との間でバトルが始まってしまったからだ。仕舞いには
「あなたがいると問題が起こるから宿へ戻ってくれ。」
そう言われてしまう始末だった。
その表現に私は甚だ心外だったが事実騒動を巻き起こしていることも正しかった。仕方がない、私は食後のお茶をあきらめ、宿に戻る事にした。午後8時。私は戻るや否や部屋の電気を消し、眠りについた。電気をつけたら最後、彼らは朝まで帰らないだろう。
翌朝がまた傑作だった。人々はパンダを見るため、早6時前に集合し始め、こう話しかけてきたからだ。

「お願い、早くドアを開けてください。なぜって、いっぱい人が来てあなたの顔を早く見たがっているんですよ!」

わかっている。その無邪気な無遠慮さがバングラデシュ人の魅力だって事も。でもなぁ。
事には程ってものがあるんだ。
恐怖の人垣は果てしなく続き、一人、また一人と膨張しつづけていた。

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