■タイトル カンボジア3(タイへ)
□文章作成 タイ・バンコク
□作成日時 2003年5月10日▼概要
アンコール遺跡堪能後、私とウーヴァはタイへ向かった。▼水かけ祭り
カンボジア正月はもう終わったと思っていたが、シェムリアップを離れてみたらまだまだ続いていた。そして観光地シェムリアップでは見られなかった水をかけ合う祭りがあちこちで行われていた。もっともこれはタイ国境に近づいたせいだったかもしれない。
人々は未舗装の国道脇に列をなすように並んでいた。そして大きなポリバケツに水をくみ、小さなビニール袋に水を入れては軽く口を閉じ、道行く人に投げつけていた。子供の頃遊んだ水爆弾の要領だ。そしてベビーパウダーの様な香りの着いた白い粉を手にしたためては他人の顔に塗りたくるのだった。それは宿とて同じだたった。泊まるつもりで宿の門をくぐったとたんに宿主から歓迎の粉。真っ白になってしまった。
粉の由来はわからなかったが、水をかけることについては一つ思い当たることがあった。
カンボジア正月のこの時期、こちらは暑期のまっただ中、連日40℃近い猛暑が続いていたからだ。水をかけ合い、涼をとり、そしてあるいは来るべき雨期の雨乞いをしたのかもしれない。そんな季節の流れが自然に感じられた。▼3重通貨の国
シェムリアップを離れ、シソフォンに一泊するとそこはもうタイバーツの国だった。カンボジア国内なのに宿でもレストランでもタイバーツで表示され、実際バーツでやりとりがなされていた。もちろんUS$も流通している。どの程度流通しているかというと、旅行者にとって両替の必要がないくらいだった。つまりレストランで1$分の食事をして10$札を出せば9$の釣り銭がドル紙幣で平然と返されるくらいだった。こんな国は初めてだ。
しばらく旅をしてわかったことはカンボジアリエルは実は単なるUS$の補助通貨になっているという点だった。つまりUS$には1US$以下の紙幣がない。結果1$以下の取引にはリエルを使うという構図だ。セント硬貨の代わりをしているにすぎないわけだ。
従ってタイ国境が近づいたとき補助通貨がタイバーツになってもあまり深刻な影響を及ぼさないという事にも納得がいった。なぜなら大きな取引はいずれにしてもドル建てで行われているからだ。
とはいえ納得しつつも腑に落ちない感覚は結局最後まで拭いきれなかった。ユーロじゃないけどアジアの通貨を統一したりできない物だろうか。しかしそんな未来までこの国は3重通貨を続けていくのだろうか。いろいろ考えてみたがやっぱり腑に落ちなかった。▼ウーヴァとの旅
結局ドイツ人のウーヴァとはホーチミンシティーからバンコクまで二ヶ月近く共に旅をすることになった。ウーヴァは地元の子供たちや女の子と仲良くなるのにとても長けていた。独特の魅力的な笑みを武器にだれでも引きつけてしまう。これは大した才能だと感心させられた。
しかし一方テンポが合わずに苦労することもあった。彼に会って一番驚かされたことはヨーロッパにもこんな性格の人がいるのか、と言うことだった。というのは彼、非常に協調性が高く、何でも確認もなく受け入れていくからだった。現にプノンペンに私が10日という多少長い期間滞在したとき、彼はあたかもそれが当然だと言うような表情で、「君を待つから一緒に走ろう」という一言すら言わずに僕に合わせたのだった。人はそれぞれ違うのは当然なことだけど、個人主義で全て自分でやろうとする人が多い旅人の中で彼の存在は際立っていた。
どうやら彼は孤独を嫌う寂しがりや、らしかった。現に「一人では旅したくないんだ」とはっきり言う。でも私がミャンマーに行くと言った後で「ミャンマーも悪くないな。」と言い出した時は驚いてしまった。彼のオーストラリアに行く計画はどうなってしまったのだろう。
「自転車で旅するパートナーを見つけるのは簡単ではないんだよ」とウーヴァは言う。それはわかるけど、私は私の道を行きたい。誰かと一緒に旅をしていろいろ話をするのは楽しいけど、必要以上に共に旅し続けるつもりは無い。だから今回はここで別れよう。そしていつかドイツまでたどり着いたら、再会してそれぞれ、それぞれの積もる話に花を咲かせようじゃないか。
ともかく日々異文化を持つ人と共にペダルをこぎ、食事をすることが出来たのは貴重な経験だった。ぶつかる事も多々あったけど、すべては思い出に昇華していく。そしていつか再会したとき、あの灼熱のカンボジアの思い出を語り合えるのだから幸せだと思う。それは一人では決して感じえない幸福なのだと思う。
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