■タイトル ベトナム北西部2(砂利と泥と峠)
□文章作成 カンボジア・プノンペン
□作成日時 2003年3月26日

▼概要

サパトレッキングを終えた私たちはいよいよ本番の山岳地帯の奥地へと向かった。

▼最高所の峠を越えて

この日もサパは霧に包まれていた。こうもじとじとしていると出るのがおっくうになるがここにいても始まらない。朝食後、荷をまとめサパを後にした。坂はサパの小さな目抜き通りから早くも急な上り坂だ。地元の人たちの間をぬうようにして峠道に入った。峠へ上っている最中、日本人の親子三人のサイクリストに遭遇した。こんな事もあるものかと驚いたが男ばかりの三人組はゆっくりと会話をする間もなく走り去ってしまった。ラオスまで行くと言っていたがその後はどうしているだろうか。それに対して私たちはのんびりと話をしながら上った。途中にあった滝でもゆっくりと休憩し、遊歩道を一周した。晴れていたらきっとベトナム最高峰のファイシパン山が見えているに違いない。
「ファイシパンならそこに見えるよ。えっ、見えないの?」
そんな冗談を言い合い、また峠へ向かった。ここTram Ton峠はベトナム最高所で2047mもあったが、サパからの高度差はさほど無く、また傾斜もそこそこ、路面は良好なアスファルトとあり、秀霞も元気そうだった。
峠に着くとオレオタイム。秀霞はオレオの黒いところが好物らしい。サパで本物のオレオを買えたのは幸運だった。ベトナムの物価からすると異常に高かったけど。
そしてお待ちかねのダウンヒルだ。途中から霧も晴れ、棚田が美しかった。観光地サパを離れたせいか、すれ違う民族衣装の人々の視線も一段と自然体になった。それにしても誰もが伝統的な衣装で身を飾っていることはすばらしい。世界中を探してもここまで民族衣装一色の場所は限られると思う。今やとても貴重な存在だろう。
長いダウンヒルを下り終えると、南北へ分かれる分岐点にたどり着いた。当初の予定ではここからハノイへ向かって未舗装路の冒険コース(?)へ入るつもりだった。しかし秀霞はまだ未舗装路にはかなり不慣れでストレスを感じているようだったので、比較的舗装率の高いと思われるライチャウ経由のルートを走ることにした。このルートはガイドブックにも多少情報が載っていたし、実際に走った人の話も聞いたことがあったので安心だ。北回りで距離的に遠くなってしまうため最後はバスを使わざるを得ないが今回は山岳地帯を楽しむことが目的なので行ってみることにした。何が待っていることだろうか。
ちなみに最終決定をしたのは分岐点での事だ。もうすこし計画性が必要だろうか。

▼子供たちに囲まながら

それにしても、それにしても地元の子供たちはフレンドリーだった。いや、フレンドリーというか物珍しさにとりつかれて追っかけてくるのだった。こんな経験はアフリカ以来だ。自転車の方が速ければ一瞬の出来事で終わるが上り坂だとそうもいかない。延々と後を付けられ、人数はどんどん増加していくのだった。
当然秀霞にとっては初めての経験だった。そもそもいわゆる「子供好き」で無いせいもあろうが、困惑気味だ。しかも道行く先には巨大な水牛が何頭も立ちふさがっている。田舎育ちでも水牛は苦手らしい。巨大な角を見ては恐れおのきながらそっと脇をすり抜けていくのだった。

ペース的にはどうしても私の方が速いので彼女が子供らの相手をすることになった。しかし彼らは時として収拾が着かないほど自転車を囲んでくる。さすがに度を過ぎる場合も出てきたので順番を逆にする事にした。つまり私の方が非常にゆっくり走り、子供らを引きつけておく。引きつけておくのは多少の経験のある私には易しい。停まって話しかけたりしてもいいし、歌を歌うのもいい。彼らの言葉をまねしてしゃべったりするのも効果的だ。興味津々で彼らは私に釘付けになる。
その間秀霞は一人黙々と坂を上る。そして百メートル以上差が付いてそろそろ良いかな、と思った所で私は彼らに「さよなら」を言い残し全速力で子供らを振りきる寸法だ。
もちろん子供たちは素朴で悪気があるわけではないし、かわいいけど、いつもいつもつきまとわれると疲れる。だからそんなときはこんな手で彼らを振りきるのだった。

▼村でのキャンプ

その日、宿はTamDuongにあることはわかっていた。しかし道は延々と続き、容易には着きそうもなかった。しかし日は暮れ、刻一刻と夕闇が迫っていた。そもそも今日はキャンプする予定だっのだ。キャンプをしよう。
ただキャンプするには場所を選ばなければならない。しかし辺りは田舎と言っても至る所に人がいて、行き交っているのだった。これでは藪に隠れての野宿は不可能だ。どうしたって見つかってしまう。
そんな中、小さな峠のような場所にたどり着くと、私は二軒の小さな小屋を見つけた。ここしかない。決断は早かった。近くにいた人に断り、テントを張らせてもらうことにした。

経験的に言って土地所有の概念が明確な所以外ではどこでどうテントを張っても文句を言われることはまず無い。しかし逆に途上国の場合、所有者がはっきりしていないような所でキャンプをすると物珍しさに人が大勢集まってきて収拾が着かなくなる。むしろこちらの方が心配だ。もちろん万が一、文句を言われたり金銭を要求されるようなことになっても大変だ。だから誰か個人に断って、その人の家の前にテントを張らせてもらうことが一番安全だと考えている。そうすれば形式上その人のゲストという形になるから興味本位の集団に囲まれて収拾が着かなくなることにもなりにくい。押し掛け、ではあってもホスト側もある程度の保護をしてくれるものだ。
そんなわけで最後の問題はどの家に一晩のキャンプをお願いするかにかかってくる。村が大きすぎるよりは小さい方がいい。しかし全く人家がないようなところでは、お互い不安があるし警戒心が高まる。悩むところだ。
もちろん実際には一般論は適合しないことが多いし、選ぶ余裕がないことも多い。だから結局最後は雰囲気を読んで声をかけたときの印象で決断するしかない。
宿や食堂選びにも共通するがこの手の感覚は感性的なものだ。ヒピッと感覚が合ったところが一番良いのだと思う。不思議なものだがぱっと場所をすぐ決められる時と悩んでなかなか決められないときがある。
しかしこの日は速かった。話しかけたときの視線に暖かみがあり、迷わず決めることができた。

その家は家と言うよりガレージだった。いくつかの農機具が置かれ、火を囲んで村人が団らんする場所らしかった。しかし実際そこに夫婦が住み、寝泊まりしているようでもあった。
かれらは本当に友好的でテントをたてると軒下にあった薪をどけ、ほうきで掃いてくれた。さらに食事は済んだのか、と心配までしてくれる。
本来なら薪の火を借りて料理を作り逆に振る舞ってあげるべきなのだがあいにく大きな鍋を持っていなかったし、秀霞がかなり疲れた様子だったので自分たちだけで料理して食べる事にした。
繰り返しになるが、彼らは本当に温かい心を持った人たちだった。なんの縁もゆかりもない他人に対して私たちはこんな優しさを持ちあわせているだろうか。

▼実はこれからが本番

翌朝は軽くビスケットをつまみ、出発。わずかばかりの食料をお世話になった家主さんに残した。しかし素朴で心底親切だった彼はがんとして受け取らない。そんな掛け値のない気持ちを持って接してくれたことがたまらなくうれしかった。半ば押しつけるようにしてそれを渡し、出発した。
トイレ休憩をした直後、秀霞のタイヤがぺちゃんこになっていた。パンクだ。しかしタイヤとチューブをチェックしてみて驚いた。そこら中にガラス片が刺さり、穴だらけになっている。これはガラスだけの問題ではない。タイヤ自体が古すぎてゴムがボロボロになっているのだ。だから小さなガラス片を簡単に拾い穴を開けてしまう。私の目から見てもタイヤ交換した方が良さそうな状態だったので困ってしまった。と言っても今回は仕方がない。ひとつひとつガラス片を取り除き、チューブに開いた穴をくまなくパッチで塞いだ。
早々にやる気をそがれてしまった私たちだが、先に進むしかない。きつい坂道をまたゆっくりと上った。
いつまでこの上りが続くのかとうんざりし始めた頃、道はにわかに下り坂になり、気がつくと果てしない下り坂になった。すると今度はいつまで下るのかと心配になる。下り坂で心配になる理由は一つしかない。下った分は必ずまた上り坂となって眼前に立ちふさがるからだ。
そしてその日も日は暮れゆき、夕闇が迫った。道は未舗装路のがたがた道。しかし今回は川沿いの狭い谷間で民家もほとんど見あたらなかった。そこで道路脇の小道を少し入ったところに野宿することにした。小道の様子からするとごくまれに人も通っているようだったが、ほとんど使われていないようだったので一泊には差し支えないとの判断だ。道路からテントが見えないことを確認してから夕食づくりにとりかかった。
折り悪く雨が降り出してしまった。テントに冷たく落ちてくる雨音を聞きながら、傘を差し、パスタをゆでた。
長期的な自炊生活の場合は米が欠かせないがこんな時はやはりパスタが便利だ。長い麺は二つ折りにして小さな鍋でゆでる。ソースは昼に買った豚肉を炒めた上にニンニク、タマネギ、そして菜の花を入れた。味付けはスープストックとトマトソース、塩とシンプルだ。本当はバジルと黒胡椒も入れたいところだけど。
鍋が小さく不完全な簡易パスタだったが秀霞には好評だった。そして食後は台湾産の梅酒で乾杯。さあ明日はライチャウまで行けるだろうか。

▼晴れた

翌日、朝は無事やってきた。しかしあいにくまだ雨が降っていた。時に小降りになるのだがテントはびしょぬれで畳むのに一苦労だ、ゴアテックス製のテントはここに難点がある。通常のテントのように水を絞りながら畳むことができない。水分がテント内の空気を密閉してしまうからだ。
川沿いの道はあい変わらずアップダウンを繰り返し、時にとんでもない悪路になった。大きめの石による凸凹がひどかった。自動車でスピードが出ていたら楽かもしれないが自転車の場合はその凸凹にいちいち反応してしまう。工事中の箇所も多かったが砂利はまだ敷かれて無く、大きな水たまりや泥が待ちかまえていることもあった。
幸い後半になると道は良くなり、そして久方ぶりに晴れ間がのぞくようになった。日の光のなんと眩しいことだろう。特に雨上がりの日差しは格別だ。空気が澄んでキラキラときらめくように差し込んでくる。そして無事ライチャウ着。宿に入って全てを洗濯。三日間の垢と泥を落とした。

▼その後も続く北西部の山

ライチャウをすぎても山岳地帯は甘くなかった。いきなり1000mを越す峠越えがあり、極端な地形が続いた。そして当然のごとく100km先の次の町へはたどり着かず、再び村キャンプをする事になった。みなとても親切だが好奇心も強いからなかなか自由にできない。それでもテントのおかげで最低限視線を遮ることができた。夜、月と星空が美しかった。月と星だけはどこへ行っても変わらない。見える位置は違っても昴を見るといつも日本の星空を思い出す。
翌日も山岳地帯。地味に見える小さな峠の一つ一つが行ってみると甘くない。高々50kmの行程だったが丸一日かかってしまった。
そして最後はトランジャオからソンラの85kmだった。ここの峠がまた甘くなかった。快晴なのはうれしいが今度は暑さでばててしまう。12%といった上り坂も延々と続き、秀霞はギブアップして押しに入っていた。助けてあげたいと思い声をかけたが、彼女は文句の一つも言わずにまた黙々と上るのだった。
「文句を言っても道が無くなるわけでもないから。」
と妙に真っ当なことを言う。いや、それでも愚痴を垂れたくなるのが人間だ。だから当たり前のことかもしれないけど、黙って走りきった秀霞を誉めてあげたいと思う。
「よくがんばったね。」
ソンラに着いたときは、またサパ到着の時のように真っ暗になってしまっていた。
ともかく無事たどり着いた。全行程をそれぞれ自分の力だけで走りきったのだ。
自転車の旅は達成感が違う。汗をかき、疲れる分だけ風景が体に染み込み重みを持った実感として記憶に残る。それは何にも変えられない宝物だ。

▼ハロン湾へ

ソンラ到着後は一日休息日を設けた後、10時間バスに揺られてハノイへ戻った。バスの旅もつらい。自転車なら4日あれば健康的に走れる行程だ。実は自転車の方が日々で比べたら楽だったりして、と思ったりした。
ちなみに自転車をバスに積むこと自体は何ら問題ない。屋根に上げてお仕舞いだ。信じられないことに彼らは自転車どころかオートバイでも何でもバスの屋根に簡単に載せて運んでしまう。
ハノイでもう一日休み市内を歩き、翌日ハノイ発のパッケージツアーでハロン湾へ行った。ツアーはバス代からそこそこ品数の多い食事、真っ当なホテル、往復の船代、観光地の入場料など全て混みで一人23$だった。もう少し探せば安いものもあったかもしれないが内容、質から考えると納得のいくものだった。このようなお任せツアーははっきり言って初めての経験だ。しかしやってみて初めてわかったことだが案外悪くないものだ。もちろん自分で旅することとは根本的に別種のものではある。
何しろ何もしなくても全てのことが進んでいく。食事代はいくらか、ぼったくられないか、どの店が良いか、どこか一番安いか。宿探しも雰囲気、価格、シャワーのお湯、清潔か、などなど一切合切旅に必要不可欠なことを逆に一切気にしなくても勝手に旅が進んでいくのだった。これは革命的な娯楽だ。なるほど旅は映画を見たり宴会に参加することと同じ様な娯楽でもあったんだ、初めてそう知らされた気分だった。
ハロン湾は美しかった。海の桂林と言われており、確かに石灰岩の島々は桂林に近い。ただ両方見たものとして一言付け加えるとするならば、規模・高さ的には桂林の方がずっと大きい。ハロン湾は暑い時期に泳いだりカヌーをして遊ぶのに良さそうなところだった。
ここで面白かったのは竹製の船を初めて見たことだ。簡単に言えば巨大なざるである。しかしもちろん単なるざるでは沈んでしまうので、目が詰められている。秀霞曰く桐油じゃないかという。残念ながら確認はできなかったが、ベトナムに特産の天然樹脂を利用していることだけはわかった。瀝青といった木造船に使われるような鉱物の類では無いらしい。
パッケージツアーと言ってものんびりしていたのも良かった。何しろ観光と言っても景色を眺めるだけだ。きっと島々や岩には色々な名前が付けられているのだろうが、そんなことはどうでもいい。ただ霧の中ひっそりと浮かぶ島を見ながら流れる時に身を任せた。時に北西部の山並みを思い出しながら。

▼旅は終わり、また旅が始まる

長いようで一瞬のうちに日々は過ぎ、秀霞は台湾へ帰り、私はまた一人旅に戻った。
今回はなんと言ってもサパからソンラまでのサイクリングが最高だった。毎日坂と泥とキャンプにくたくたになったけど疲れた分だけ思い出も深くなる。この行程は自分一人だったとしても決して楽に通り抜けられるものではなかっただろう。それを発展途上国のみならずキャンプツーリング、長い砂利道や泥道、荷物をたくさん積んでのサイクリング自体が初めての秀霞と一緒に走り切れたことが何よりうれしいし誇らしい。

「じゃあ、またね。」

そうは言っても私は旅の空。また今度いつどこで会えるかはわからない。でも不思議と思い切り寂しいという気持ちだけではなかった。それは必ずまた会う機会がやってきて一緒に自転車を転がせるという確信に裏打ちされていた。

だからまた元気に自転車をこぎ出そう。今の自分にできることはそれだけだ。

「Around the World」

夢はもう手の中にある。つかむのは自分だ。

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