■タイトル ベトナム北西部1(サパへ)
□文章作成 ベトナムフエ
□作成日時 2003年3月4日
▼概要
ハノイで台湾の友人に再会した私は汽車で一端ラオカイへ移動。そこから自転車でサパまで走り、二日間のトレッキングをしてから山岳地帯へと向かった。▼半年ぶりに再会
台湾踏板上勇者三横之旅で仲良くなった黄秀霞さんが正月休みを利用してベトナムまで自転車を担いで駆けつけてくれた。期間は2週間半。十分とは言えないがのんびりした旅が可能な期間だ。だから、というわけでもないが計画はほとんどたてなかった。
とりあえずサパまで行き、それから考える。私は相変わらず行き当たりばったりだ。
秀霞(しゅうしゃ)は連日のハードワークでさすがに多少疲れた様子だったが無事ハノイに降り立ち、元気な姿を見せてくれた。
八月から実に半年ぶりの再会だ。そのせいか始めは何から話していいかわからないくらいだった。Emailでは頻繁に連絡を取り合ってきたのに顔をつきあわすとなぜか少し緊張してしまった。▼夜行列車で移動
ハノイの宿で小休止をとり、夕食を食べてから夜行列車でラオカイへ向かった。海外での寝台列車の経験は南アフリカぶりだろうか。自転車は専用の貨車に乗せて一台3万ドン(約240円)人間は4人部屋のソフトスリーパーで14US$だった。座席なら半額程度だし代理店を通さず駅で買えばもっと安い。しかしどうやらソフトスリーパーに関しては国鉄でなく民間資本で運営されているらしく、旧正月の前日と言うこともあり代理店を通すより仕方がなかった。ともかくばたばたと大荷物を抱えて列車に乗り込むと、程なくそれはゆっくりと動き出した。▼ラオカイで
せっかくの汽車旅だったが満喫する間もなく早朝にラオカイに着いてしまった。駅を出て本日の作戦を練る。当日中にサパまで走ってしまう計画だったが、それには無理が大きすぎたようだ。まずは自転車の整備に時間がかかった。
秀霞には今回新しいチェーンを持ってきてもらっていた。それに交換して歯のかみ合わせを確かめる。そもそも中国に予備のチェーンを持って行かなかったのが誤りの始まりだが幸い新しいチェーンに交換しても歯飛びすることもなく無事使えることが判明した。これでまたしばらくは安心だ。
ちなみに私の場合9速を使用しているせいか約4000kmごとにチェーンを交換していかなければならないらしい。さもなくばチェーンは伸びすぎて高価なスプロケットなどにダメージを与えてしまう。するとチェーンのみ新品にしても歯飛びして使えない事態になってしまう。今回は韓国で交換して以来既に6000kmに達していた。だから時すでに遅いのではないかと恐れていたのである。
次に今度は秀霞の自転車のメンテナンスに入った。秀霞は今回初めて後ろにキャリアを付けての参戦だが、このキャリアの取り付けがうまくなかった。肝となるハブに近い下の部分さえバンド締めだったからだ。これにはメカには自信のある私も「粗悪で改良不可能」とさじを投げ出したくなった。しかしその不可能を可能にするのが腕の見せ所。半日で壊れそうなバンドとブレーキダボとの間に細引きのナイロンロープを何重にも巻き付け、重量に負けないよう補強した。これで何とか二週間使えることを祈るしかない。
仕事と移動疲れでバテた秀霞に配慮してこの日はラオカイに泊る事にした。なんと言っても今日は旧正月の元旦なのだ。のんびりしようじゃないか。
ここラオカイは中国との国境の町。細い川を隔ててすぐ目の前に中国側の町「河口」が広がっていた。距離はあまりに近く、中国側の人々がのどかに散歩する姿が見えるばかりでなく騒々しい爆竹の音も容赦なく響いてくる。地味でひと気のないベトナムと違って華やかで豊かそうな中国側。根拠もないのに何でもありそうな気がしてくるから不思議だ。隣の芝は青い。
秀霞もやはり対岸の中国にかなり興味をひかれていた。
「行っても何もないだろうけど。」
と口にはしていたが同じ中華の血が騒ぐのか、気になって仕方がないようだった。
夕方たまたま入った食堂はなんと中国人主人の経営だった。そこで秀霞が中国語でペラペラと聞いたところによるとなんとビザが無くても一時的に中国を訪問することが可能なのだそうだ。そこで食後にパスポートを持って中国訪問に挑戦してみることにした。しかしあいにくそれは17時までだったらしい、残念ながら橋を渡ることはかなわなかった。
それにしても、イミグレ(出入国管理)の人たちののんびりしていること。正月気分全開でトランプをしたり無駄話に花を咲かせている。
「ごあいにくさま。明日の朝またお会いしましょう。」
管理官の人は愛想良くそう笑った。▼サパへの道
翌朝、朝食は中国でとることに決めた。宿に荷を置いたまま身軽な格好で中国一時入国を試みる。ところがどうしたことだろう。今度の係官はNOの一言だ。笑顔の彼はどこへ消えてしまったのか。また会おうって約束までしたのに。
残念だがこの手の状況変化は国境では良くあること。文句を言っても仕方がないし、ごねてる暇もなかったのであきらめてそのままサパに行くことにした。
サパの標高は約1600mある。ラオカイは300m程度だからサパへ行くまでには1300mは上らなければならない。これは甘く見れない行程だ。朝食を軽く済ませ私たちは早々にサパへの道へ入った。幸い道路は細いながらも舗装されており、交通量も少なく快適に走ることができた。
しかし予想通り道は甘くなかった。行けども行けども上り坂が続く。秀霞は初めて載せたサイドバックの重さが堪えるのか台湾で見せていた元気は見られなかった。しかも途中から工事区間に入ってしまったことも状況に拍車をかけた。ダートの急坂に秀霞は乗ることをあきらめ、押しに入っている。経験的に言って、押すのは乗るのの二倍の時間と体力が必要だ。つまり効率が半分になってしまう。なので極力押さないで乗ってもらいたいところだが今は安全第一。ただサパが近づいていることを信じ、ゆっくり進むより仕方がなかった。
道からは美しい棚田の風景が見られた。しかし残念ながらのんびり見とれている余裕はなかった。ハノイで仕入れてきた「本物のオレオ」を食べて元気をつけながら、少しづつ先に進むしかなかった。
午後6時。日は容赦なく西へ暮れ、辺りは夕闇に包まれていった。しかし途中で泊まるわけにも行かないから何としてでもサパまで行くしかない。ヘッドライトを頼りに恐る恐る闇夜を進んだ。▼サパトレッキング
サパは少数民族の村へのトレッキングで有名な村だ。観光化されてしまった嫌いもあるが村の中心部でもカラフルな民族衣装に身を飾った人たちが行き交っていた。
「ツアーに参加しないと村を自由に見れないだろうし、見てもわからないんじゃない?」
そう言う秀霞の意見を聞かなかったわけでもなかったが、どうもお金を払って見物する気になれず、適当に歩いてみることにした。頼りにできるのは手書きの荒っぽい地図が載った英文ガイドとコンパスのみ。とりあえず宿の前の道を下り始めたのだが、早々に今自分のいる位置すらわからなくなってしまった。
道はいっこうに終わらず延々と続いていく。しかし霧のため風景も見れず、少数民族の村がどこにあるのかもわからない。やっぱり秀霞の言うとおりツアーに参加するべきだったのか。そう話し合い、無念ながら来た道を引き返す事を決めた。
ところが、その直後に幸運が舞い降りてきた。外国人のツアー一行が道を下ってきたのである。これを逃す手はない。少々貧乏くさいと思いつつも彼らの後を追って村へ行ってみることにした。
行ってみると村はもう既に半ば観光コース化され多くの人が歩いた踏み痕で道は意外なほどはっきりしていた。そして徐々に霧が晴れてみると、もうあちこちに外国人の姿が見えるのだった。迷いやすいと本には書かれていたが全く心配ない。太めのトレールを順次追えばいいし、迷ったら外国人を捜せば良いだけなのだから。
こう書いてしまうとなんとも味気なさそうに聞こえるが、それでもなお、このトレッキングは面白かった。とにもかくにも村人は例外なく民族衣装に身を固めていたし、
村の家の柱から屋根、壁、柵など全て身近な自然素材でできていたからだ。一つ一つ手作業で作られた味が染み込んでいる。
村人は時に土産物を売ろうと攻勢をかけてきたが、それでも少し話してみるとまだまだ素朴さが残り、また身につけているものも全て手作りの品々らしく、見ていても美しく、面白かった。
彼らは口琴を持っていたので思わず買ってしまった。アイヌのムックリから台湾のタイヤル族の口琴を見てきた私にとって今回は三度目の出会いになる。口琴は世界の少数民族を結ぶキーワードなのだ。
ここモン族の口琴は真鍮製の粗っぽい作りだったがカラフルな飾り付けのされた竹筒に入っていて美しかった。音も悪くない。南国のせいかムックリより明るい音がした。
続いて何軒かの家の玄関に「しめ縄」を見つけた。しかも藁を編んだしめ縄から「紙しで」や稲穂までぶら下がっていた。「紙しで」の色は黄色だったが日本のもののように紙に切り込みを入れたスタイルだった。これはあまりに似ていて衝撃的だった。
どこでどうつながっているのだろうか。
村にとって水は信じられないほど豊富らしく、至る所に灌漑用の小川が流れていた。そして所々に竹で作られた上水道も張り巡らされていた。また、急な箇所には竹のパイプと発電器が組み合わされ、小規模発電すら行われていた。これでも数軒分の電灯には十分なエネルギーが得られよう。自然を巧みに利用したすばらしい仕組みだ。もっとも台湾は阿里山の麓で育った秀霞にとっては珍しくもなかったらしい。昔は台湾でもこんなのを使っていたそうだ。
それから藍染めの樽も見つけることができた。そしてすぐそばに藍自体も植えられていた。伸びたところだけ切って染料として利用するらしい。これも永久に使える仕組みだ。動植物に詳しい人がいるととても参考になる。
お茶畑もあった。お茶くらいならいくら私でも判別できる、と言いたいところだがこれも秀霞に教えてもらった。いわく、ベトナムのお茶は「木」でなく、「草」なのだそうだ。確かにベトナムに入ってから飲んだお茶には独特の香りがあり、異質なものを感じていた。しかしまさか草だったとは思わなかった。「草のお茶」は青い花をつけ、大切そうに竹の柵に囲まれて植わっていた。▼いよいよ北西部の山岳地帯へ
二日間ぶらぶらとのんびりトレッキングを楽しんだ後、私たちはいよいよベトナム北西部の奥地へと進んだ。まずはベトナム最高所、2047mの峠越えが待っている。さらにこの先は町も少なくなるのでキャンプもしなければならない。一体どうなることだろうか。
しかし不安を見せては始まらない。これからが今回の旅の本番なのだから。
「楽じゃないかもよ。」
私は予防線を張りつつも、余裕を見せ、そう笑った。そしてゆっくりと霧のサパを出発した。
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