■タイトル ベトナムへ
□文章作成 ベトナムフエ
□作成日時 2003年3月3日

▼概要

中国最後の町、凭陽へ向かった私は偶然ドイツ人のサイクリストマークィーに会い、翌日その友人のオウヴとも合流し、ハノイまで共に旅をした。

▼マークィーに会う

凭陽へ向かう途中、のんびりと食事をしていたらいきなり西洋人らしき人が荷物をたくさん積んだ自転車で通りかかった。
驚いて大声を出したが出てきた言葉が中国語の「ウェイ」。これじゃ振り向いてもらえない。一瞬あきらめたがやっぱり話を聞きたいと思いあわてて追いかけ捕まえたのがマークィーだった。
彼女(つまりその人は女性の自転車一人旅だったわけだが)はドイツからなんと一人でロシアやモンゴルを経由して走ってきたそうだ。これには驚いた。しかも中国には5ヶ月滞在したそうだ。従って中国語も結構話せて大きなストレスはなさそうだった。
そのマークィーの友人が明日凭陽へ来るという。そこで彼を待って3人でしばらく旅をすることになった。

▼オウヴが登場

友達が来ると言うから昔からの親しい友人かと思ったら実は初めて会う人だという。というのはマークィー、長い一人旅に少し疲れ、インターネットで同行者を募ったらしい。そこで知り合った人が新しい相棒、オウヴと言うわけだ。しかし見ず知らずの人、しかも異性が来て一緒にうまくやっていけるのだろうか。当然のごとくそんな疑問が起こったがそれはお互い承知の上。もちろんやってみなければわからない。ともかく僕がじゃまに入っても差し支えなさそうだったので同行させてもらうことにした。
新しい相棒・オウヴは予定より半日ほど遅れ、香港から汽車に乗ってやってきた。なかなか彼が現れず気をもんだマークィー、
「もしかして彼はインターネットフェイク?」
なんて冗談を言っていたが、現実の彼はなかなか穏やかで気の優しそうな人だった。やはり長くしていた仕事をやめ、どうしようかと思っていたときマークィーを見つけたのだという。
「僕は英語が下手だけど」
と自己紹介されたけど僕よりはずっとずっと上手だった。
みな、一癖ふた癖のある自転車乗りでおかしかった。もっての話題はオウヴの新車だ。まだピカピカしていて羨望の的。もちろんそれぞれ自分の自転車が一番いいと思っているわけだけど。

▼花山壁画へ

オウヴの発案で翌日は花山壁画を見に行った。時間の都合上バスで寧明に戻り、そこから船をチャーターした。なるほどこういう旅になると単独行動よりはるかに安く済む。船代100元(1500円)も三人で割ればさほど痛くない計算だ。
壁画は2000年ほど前に越人により描かれた物らしかった。素朴でスピリチャルな画だ。見れば見るほど動きが露になり、気持ちが伝わった。説明によれば銅鼓なども描かれているそうだ。銅鼓は日本の銅鐸との関連が指摘されている楽器。そんなわけで遠い異国の話とも思えなかった。どこかで日本ともつながっている。
オウヴはドイツから「本物のパン」と「本物のチーズ」、「本物のチョコレート」を持ってきていた。これにマークィーは大喜びで大はしゃぎ。好物に巡り会ったら誰でもそうだが心底幸せそうな顔をしていた。

彼らとは食事の話が面白かった。マークィー曰く私は食事の度に米の味について不平を言っているらしい。もちろんそんなつもりはなかったのだけど、「米に味があるの?」なんて聞かれた事があったもんだから毎回ムキになって味の違いについて評価を下していたら誤解されてしまったようだ。
一方マークィーは「新鮮な本物のパンは、パンだけで食べれるくらいおいしいんだ!」と誇らしげだった。日本だって本当にいいご飯はご飯だけで食べられるくらいおいしい。なんか表現が同じで笑ってしまった。誰だって母なる食べ物には愛着がとても深い。

ついでに話は脱線するが、モチモチ感とかパサパサ加減ってどう英語で説明して良いかわからなかった。麺の話でも説明が難しかった。腰があるとか切れが悪いとか、いわゆる食感の説明は私程度の英語力では難しい。これはどうやら日本人が食感を非常に重視しており、語彙が豊富なこととも関係していそうだ。加えて日本語に豊富な擬態語でしか表現できない所に難しさがある。

そんな中でお互いお互いの国に対する基礎知識の欠如を思い知らされることも多かった。たとえば、
「日本人は道ばたで痰を吐いたりしないの?」
と聞かれて大声で笑ってしまった。日本じゃそんなことまあ滅多に見かけるもんじゃない、中国人じゃないんだから、と。あるいは日本も米を食べるか、とか箸を使うのか、などと言った質問もあった。
自分にとって中国と日本の差と共通点は明らかでも彼らにとっては区別の付きにくい未知の世界なのだ。
ところが一方、私が
「ドイツ語とデンマーク語は似てないの?」
と聞いたときは「全く違う!」とあきれられてしまった。
なじみの薄い国のことはお互いよくわからない。それは結局のところ行ってみなければなかなか理解できる物ではないだろう。
いずれにしても最低限自らの無知は自覚しなければならないと感じた。聞くは一時の恥とは言うけれど、相手に対して失礼な発言をするのはできれば避けたいと思う。

▼ベトナムへ入国

壁画を見に行った翌日、長かった中国を離れ、とうとうベトナムに入国した。国境越えは多少緊張するが楽しい。全てががらりと変わり、新たな文化になる。町の看板から道路の品質、言語。人の表情、空気まで全てが変わって見えた。
中国からベトナムに入ったときの印象はとにかく人々がフレンドリーになったことだ。ただすれ違っただけでほとんどの人が声をかけてくる。いちいち返事をするのに疲れるくらいだった。
しかし一見フレンドリーでも場合によってはずけずけと厚かましいだけのこともある。その辺が難しいところだ。どの国だっていい人もいれば悪い人もいる。それはきっと変わらないだろう。だからこの国はどうこう、という発言はよほど注意しなければならない。
ともかく、少なくとも第一印象が良かったのは確かだ。天気も晴れ、心地よくランソンまで走ることができた。

▼鍾乳洞

ランソンでは鍾乳洞を見に行った。それ自体はこれと言って特筆するほどの物でもなかったけど、照明を比較するのが面白かった。中国桂林で入った鍾乳洞はスポットライトの様な照明だったからだ。それに対してここベトナムではキャンドルの様だ。いずれもカラフルには違いないがお国柄が出ていて面白い。
鍾乳洞は仏教寺院にもなっていた。南無阿弥陀仏と書かれてあった。仏像も初々しい誕生仏から骨と皮になるまでやせ細ったものまで多彩に並べられていた。全体に言えばやはり明るさがあふれている。南国のせいだろうか。

▼ハノイへ

途中の町で一泊後、ハノイへ到着した。特筆するような事は何もなかったが3人で走るのはやはりとても楽しかった。実際同じものを見ても人によって印象が違う。 そんな印象の違いをその場で言い合い議論する事は一人旅では絶対にあり得ない。そして自分が見過ごしていた風景にたくさん気づかせもらった。
オウヴは田圃の真ん中にバラバラと点在する墓石が気になって仕方がないようだった。ドイツではあり得ないからだそうだ。しかし日本人の私には不自然には感ぜられなかった。死後、一生を過ごした田圃に抱かれるようにして眠るのはむしろ幸せそうにも見えた。
マークィーは南欧風の建物が気になっているようだ。確かにベトナムの建物はアジアとは思えないようなこじゃれた装飾で飾られている事が多い。しかし予算の都合だろうか、どの家も道路に面したところしかペンキを塗っていない。裏側はセメントむき出しだった。
それから高さに関する考察も面白かった。ベトナムではほとんどのビルが3階程度しか無かった。それは都市部でも大差なく、エレベーターの不要な、せいぜい5、6階建てがほとんどだ。一方中国を思い返してみると田舎はともかくとして多少都市に入ると10階建てを越すようなビルがかなり多かった。

一方道路建設に関して言うとベトナムの方がはるかにスマートだ。きちんとローラーで砂利を堅くしめてからアスファルトで舗装している。そのため凸凹や穴はほとんどなく、きわめてスムーズだった。なお、これには日本を含めた海外からの融資も大きく貢献しているようだ。
最後に道を走っていてもベトナムは比較的静かだった。と言うのも車の多くが韓国製や日本製だからだ。もちろん中古には違いないが中国製の新品より依然品質は勝っている。端から見ていても快適そうだ。

かたくなに粗悪な自国製品を使い続ける中国。100%といった関税で自国製を保護し続けている。
それに対してどんどん外のものを取り入れるベトナム。しかし粗悪なコピー商品を除いては自ら何も生み出していない様にも感じた。
外面的にはベトナムは中国に勝っているように見える。道路・自動車をはじめ都市で受けられる各種サービスまで質が高い。しかし長期的に見たとき果たしてベトナムはどうだろうか。経済が発展して国が豊かになり始めるところまでは間違いないだろう。しかしその後急速な産業構造の改革を行わない限りは必ず失速する。私には外国の技術でも何でも自ら消化し再生産していく、そんな中国の方が長期的には発展性があるように思えた。

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