■[コラム] J
□パキスタン・イスラマバードにて
□パキスタン・クエッタにて送信
□2004年4月22日

Jという中年の旅人に会った。アイルランドから遠路はるばるヒッチハイクでここイスラマバードまで着たという。アフガニスタンではバスに乗ったけど、聞きもしないのに彼は念入りにそう説明した。

いけてない私が言うのもなんだが、Jもいけてなかった。いつもうつむき加減でぼそぼそと話し、他の旅行者に対して愚痴臭いことを言う。風邪を引いていて、ゴホゴホと咳をしながらテントもなしに外で寝る。
80過ぎの母と二人で暮らしているそうだからもう軽く50才は過ぎているのだろう、言語学に関心があるらしく、日本についても意外なほど詳しかった。SOVという語順の話に始まり、アイヌの話から、明治の神道の国家化なんてことまで知っていた。

そんな彼にどうしてアフガニスタンに惹かれるのか聞いた。
「私たちは自分たちが先進国にいながら、未発展の国に幻想を抱いたりするんだ。」
理屈に自嘲をまぜてそう語ってから
「自分の周りにはアメリカのアフガン空爆を非難する人ばかりだったからね。」
そう本心を打ち明けてくれた。

「タリバンはめちゃくちゃだったんだ。今だってアフガンにその時代をよく言う人はいない。よく言うのは現実を知らなかったパキスタン側の一部の連中だけさ。それを唯一変えられたのはアメリカだった。」

それは結果論じゃないかと私は思ったけど、あえて何も反論しなかった。僕はアフガンを知らない。結果が本物かを含めて。

夕方Jが戻った。夜のバスで北部へ向かうそうだ。彼は僕の顔をのぞき込むと、一日一体何をしていたんだといぶかった。ここ数日疲れが抜けなかった私は本ばかり読んでいた。文庫本を見せ苦笑すると、彼はそれには答えず、シャワーの話を始めた。
「夕方は涼しすぎて水浴びはきついですよ。」
そう言ったら、彼は聞きもせず、
「今、浴びるしか無いんだ。」
そうつぶやき、去っていった。

その後しばらく外出してキャンプ場に戻るともう彼の姿はなかった。別れの挨拶ができなかったことを悔やみながらテントに近づくと一枚の紙切れがささっていた。

「ありがとう、よい旅を。アイルランドで会おう。SAYONARA」

いけてない人たちにも人生があり、出会いはあり、旅は流れていく。
無限の流れの中でそれらもまた交差する。
私は彼にまた会えるような気がして仕方がなかった。


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