□題名 星空散歩
□送信場所 長崎県長崎市
□送信日 2002年4月18日

▼日原(にちはら)といえば

知る人ぞしる75cm反射望遠鏡で有名な日原天文台がある。
ハレー彗星の天文ブームにのって1986年に竣工。今では珍しくなくなったが、当時はそんな大きな物を民間で作ってどうなるのかと心配されたそうだ。
実は私自身、ハレー彗星の天文ブームに影響された天文少年だった。買ってもらった双眼鏡や、手作りの反射望遠鏡で真明るい東京の空の下、よく飽きもせず星を眺めていたものだ。
当時行きたくても行けなかった天文台や暗い空の山中に、こうやって特に願わずとも行くことができているのはなんか不思議な感じがする。星は見に行くものから自然と目に入ってくるものになった。
10センチから比べると50倍以上明るい巨大望遠鏡。期待を胸に夕食も食べず天文台へ夜道を急いだ。
http://web-sanin.co.jp/local/nichihara/nchihobs.htm

▼ところが

期待が大きすぎたのだろうか、巨大望遠鏡で見た星空は今一つ物足りない物に終わってしまった。コンピューター制御で次々と捕捉されていく惑星や星雲、星団。確かに良く見える事には間違いない。でも、きれいとは言っても写真には遠く及ばなかった。人の目で見るには自ずと限界が決まってしまうからだ。
それからイージーすぎることに大きな違和感も感じた。星を探して製図とにらめっこをした日々。あっという間に視界から外れていく日周運動の速さを追って縦横のつまみをまわした経緯台。そんな苦労もなく、ただスライドのように暗い画像を見続けるのには、ドキドキしながら探し当てるあの過程が欠如していた。
時代は結果だけを求めてイージーな方へと突き進んでいる。でも、得てして面白さとかロマンというのは不便な中に潜んでいるのではないかと思う。わからないからわかりたい、知らないから知りたい、よく見えないからよく見たい、遠いからこそ走りたい、そんな気持ちが湧いてくるのではないだろうか。

▼星空の下で

改めて、星を見るには外で野宿をして、空を見上げれば十分だと思う。晴れた夜にはいつも星がある。満月の眩しさに目がくらみ、新月の暗闇に足下を探る。夏にはまばゆいほどの天の川に驚嘆し、暗黒帯に黒い恐怖を知る。南に下がれば北極星の低さに驚き、まわしたペダルの回数と地球の丸みの函数について思いを巡らせる。
以前ナミビアの沙漠で見た天の川が忘れられない。赤道近くでは射手座付近の銀河中心が天頂近くまで高くあがる。忘れ雲のような大小のマゼラン雲も探さずとも目に入ってきた。天の川自体、我々の銀河なのだ。その巨大銀河を中から覗いている。視野いっぱいからあふれ出し、地平線からをもはみ出すその姿はSF映画の世界そのままだった。
ケニア山に登ったときは未明に百武彗星が目に入ってきた。予備知識全くなし。その彗星が「百武彗星」という名前であることすら知らずに見た淡いほうき星の、なんと不吉な予感をさせる不気味な代物だったことだろう。
星を見るということは純粋に空を眺めることだけなんだと思う。去年の獅子座流星群然り。黙ってただ眺めているだけが一番いい。

野宿続きはつらいけど、今夜も星が待っている。

ではまた。

追伸・ほんとはそれほどつらくも無かったりして、、、


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