□題名 [コラム]貝塚と塚
□日時 2002年3月22日
□場所 島根県掛合町


「貝塚は縄文時代のゴミ捨て場だった」そんな説明を何度聞いただろうか。しかし、単に殻の山があったとしても、それを現代の目で「ゴミ捨て場」と解してしまうのは浅はかだ。

古代縄文の人々は、世界における魂の数は限られていて、人が動物・魚や貝等を食べた後には必ずその魂を自然に返す必要があると考えていたらしい。自然に魂を返すことにより、それらは再び新しい肉体を得て、彼らのもとにやってくる。送リ返す事が将来の豊漁を約束するのである。そして、その魂を自然に返す儀礼はー般に「もの送り」と呼ばれている。
さらに、最近では「もの送り」は生物だけに限らず、石器や土器など、文字通り「物」全てが、その役目の終了時に自然に返されていた事が明らかになっている。
また、この「もの送り」の習慣は縄文人の直系子係と言われるアイヌ民族にも見られる。イナウという木幣を立て、様々なものを自然に送り返していたという記録があり、実際に考古学的な発掘もされている。

この様に見てくると貝塚という場所は「捨てる」ための場所だったと言うより、「送る」ための神聖な場所だったことが、理解できるだろう。例えば、未来人が墓地を見て「人骨の処分場」と言ったらその認識は正しいだろうか。墓地が単なるゴミ捨て場でないことは、もちろん言うまでもない。
考えてみれば、貝「塚」という名前は、貝の墓地を意味している。昔の日本人は、実際それを正しく理解していたのかもしれない。墓地をゴミ捨て場と解したのは近現代人の方だ。

浜松市内に残る、蜆(しじみ)塚貝塚へ行った。小高い丘の上にある貝塚ー帯にはお宮や墓地があり、木々の生い茂る森となっていた。神社の縁起には起源不明で有史以前からあったと書かれていた。そりゃそうだ。ここは縄文時代からの神聖な送り場だったのだから。
そう考えるとこの地に墓地があることも自然と理解できる。物も人間も自然に送り返されてきたのだろう。そして2000年以上の時を経て、蜆塚の丘は今も変らず魂を送り返し続けている。

蛇足ながら貝塚公園に、こんな案内板があった。
「貝塚保護のために散在していた古い墓石を撤去した」
近視眼とは滑稽でいて悲しい。


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